にゃんことごはん
ごはん



 彷徨う猫たち  *ご飯メニューのみ追加

我家は3LDKのファミリータイプのマンションで、親子ふたりが暮らすには広いのだが、ここに猫が7匹加わると人間のほうが居候かね、という感じになってしまう(おまけに私は自営業なので、一部屋は仕事部屋になっている)。

そして完全室内飼いの我家の猫たちにとって、この3LDKの空間が世の中のすべてなのだ。

猫たちは、窓から外を眺めるのが好きだったりする。我家の居間の窓辺にくつろぐポッポを目にした道行くひとたちが、果たしてそれを猫と認識するかどうかはともかく……猫たちは、道行くひとたちを眺めるのが、好きらしい。空を飛ぶ鳥を眺めるのは、もっと好きらしくて、時折、奇妙な音を立てながら窓の外を眺めていたりする。

猫のテリトリーというのは、すなわちお腹いっぱい食べることのできるご飯を手に入れられる範囲、なのだという話を聞いたことがある。つまり、狭くともそのなかでお腹いっぱいご飯を食べられるのなら、広いテリトリーは必要ない。でも、野良猫はそうはいかないから、必然的に広いテリトリーを必要とする、という説だ。

我家の猫たちを見ていると、3LDKで終わる猫生になんの疑問も不満もないように見える。家のなかを彷徨いながら、ちょっとした家具の移動をチェックしたり、ちょっとした家の中の変化をチェックしたりして、それだけで大騒ぎだ。クンカクンカと匂いを嗅ぎ、そうかそうか、ここはこうなったのだな、と納得するのに、しばらくかかる。
そして、家のなかというのは、いつも整然と同じようにはなっていないので、猫たちは、毎日毎日、3LDKを彷徨っては、あれれ、なんで今日はここにガサガサ音のするおもちゃ(=新聞)があるんだろう、とか、なんでここに大猫リュウの足の匂いのするもの(=靴下)があるんだろう、とか、昨日までは通れたこの道がどうして今日は通れないのだろう(=すまん、私の資料が崩れて、君らの通り道を塞いだのだ)とか。

人間は、自由に憧れる生き物なのだろうか? 時として、3LDKにその猫生を閉じ込めていることに自分自身を重ねて、自問自答したりする。
しかし、昨年ベランダから落ちて脱走したあみっちは、一ヵ月余の放浪のすえに保護された後は、決してベランダの端っこには行かなくなった。ベランダでくつろいだりはするが、自分が落ちた仕切りの近くには、決して決して近寄らない。

と言って、あみっちが無条件で人間に懐くわけではない。相変らず、リュウの顔を見れば逃げるし、私のことも居間で行き会えば、そそそ、と隅によけてやり過ごす。
それでも、あみっちにとって、自由な天地だったはずの外の世界よりも、この3LDKが安心して暮らせるテリトリーなのだな、と思うと、感慨深いものがある。

そんな猫たちを見ながら、時々私は思うのだ。
もし私が、アウンサン・スーチーさんのようにこの部屋に軟禁されて(いや、スーチーさんのおうちは、もっと広いと思うが)、一歩も外に出ることができないとなったら、ちょっとつらいかもしれない、と。
でも、仕事でしっちゃかめっちゃかになっているときは、誰かが私の代わりに食料品や日常雑貨類の買出しや、猫たちのご飯を通販で買った支払いをやってくれて、私自身はここから一歩も動かずに仕事できるなら、どんなにいいだろうと思ったりもする。
そして、そういうことが問題の本質じゃないんだよね、と己のアホさ加減にため息をついたりするのだが。

うーむうーむ、とうなりながら仕事をする私を、今日も猫たちは、「どうしたの?」という顔でチラっと見て、行き過ぎるのだった。

◆パタパタと小さい仕事が重なる。今年もなんとか首が繋がりそうで、ちょっと安堵する1月。

* 24日(金)
朝−豚スペアリブと蕪のスープ(昨日の残り)、ミックスベジタブルのオムレツ
夜−寄せ鍋(鶏肉ダンゴ、鮭、大根、豆腐、マイタケ、白菜、下仁田ネギ)、帆立のガーリックバター焼きwithサニーレタスとトマト

* 25日(土)
朝−春雨炒め(豚ひき肉、ナガネギ、キクラゲ)、雑炊(昨日の寄せ鍋の残り+卵)
昼−野菜ラーメン(キャベツ、ニンジン、タマネギ、豚肉)
夜−ハヤシライス(牛肉、タマネギ、トマト、にんじん)withサニーレタスとキュウリのサラダ、軟骨から揚げ

* 26日(日)
朝−鱒寿司(前日、買い物に言ったスーパで駅弁フェアをしていたのだった)
昼−タイ風ビーフン(海老、豚肉、ニラ、セリ、香草)、ブロッコリーと卵のスープ、青打ち豆と根菜(ゴボウ、ニンジン、レンコン、昆布、トウバンジャン、スリゴマ)の中華風煮物
夜−ブリの塩焼き、モヤシと牛肉炒め(ニラ、小松菜)、切干大根と刻み昆布の煮物、ワカメと桜海老の酢の物、下仁田ネギと揚げの味噌汁

2003年01月26日(日)
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