にゃんことごはん
ごはん



 あまりのショックに立ち直れない

今日は、とてもショックなことがあった。猫とはほんど関係ない、我家の大猫ことリュウ(人間の♂)の話なので、興味のない方は、どうか読み飛ばしてください。

リュウは小学校6年生なので、順当にいけば来春卒業だ。で、このところ、卒業文集だのなんだのと、卒業がらみのもろもろの作業で忙しかった。

そのなかに「好きな言葉」を書くというのがあったのだが、リュウの選んだ言葉というのが「気合・努力・根性・やる気」。前々から、どうもこいつは体育会系だと思ってはいたのだが、ここまで体育会系だとは、知らなかった。自慢じゃないが、母親である私の座右の銘は「ケ・セラ・セラ」だし、好きな言葉は「棚からぼたもち」だ。なぜ、このような母から、こんな息子が生まれ育ったのだろう。

リュウが選んだ4つの単語のなかで、辛うじて私にひっかかりそうなのは、気合ぐらいだ。でも、それも「ケ・セラ・セラ(=別名、明日は明日の風が吹く)」でやってきて、どうにもいけなくなったときの、いわば火事場の馬鹿力的な気合でしかない。やる気は、まあ気が向けば、たまに発揮することはあるが、努力や根性に至ってはまったく縁のない言葉だ。

育てたように子どもは育つと言ったエライ(らしい)ひとがいるが、リュウをこんなふうに育てた覚えは、私にはまったくない。つまり、彼は私が育てたのではなくて、どこかのだれか−−気合に満ち、努力を怠らず、根性があって、やる気もあるひとが育てたということなのだろうと思ったら、なんだか、ものすごくショックだった。子どもなんてものは、いずれ親離れするものだし、男の子にとって母親などというものは、エサとねぐらを保証するものであればいいのだということは重々承知していたはずなのに。

で、いったいだれがリュウを育てたのだろうとあれこれ考えたのだが、特定はできなかった。もしかしたらリュウが乳児期から幼年期の大半を過ごした保育園の園長先生かもしれない。リュウが敬愛する小学校の某熱血先生かもしれない。あるいは、毎週サッカークラブでお世話になっているコーチ役のボランティアお父さんたちかもしれない。

いずれにせよ、ぐうたらで酒飲みで、ジゴロな猫のショーとヒモな猫の練々に、日々もてあそばれて(は喜んで)いる母親ではない……ということなのだ。

◆そんなわけで、我家は生命力に満ち溢れた食欲旺盛な猫と大猫のおかげで、エンゲル係数があがりっぱなしだ。ああ、どこかから猫ご飯と人間ご飯が降ってこないかなと、「棚からぼたもち」を夢見る母であった。

* 朝−クロックムッシュ(チーズ、ホワイトソース、ハム)、ブロッコリー、卵焼き、クリームスープ(じゃがいも、にんじん、玉葱、牛乳、チーズ)
* 夜−いくら丼(ノリ、貝割れ大根)、カボチャの煮物、温野菜のサラダ(里芋、にんじん、なばな、ごぼう、サニーレタス)、グリーンアスパラの明太マヨ和え、ワカメとシジミのみそ汁

2003年12月12日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME