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■ 雅さんやでぶっちや……みんなと再会しているころだろうか
朝一番で火葬の手配をした。 病院で精算し、花屋で花を買う。
花で飾るのも、布で包むのも、私の自己満足だ。 葬儀というのは、生き残ったモノのための儀式なんだからと呟きつつ。
昼前、お悔やみの花が届いた。 昨日いや今日の明け方近くに更新したのに、と驚いた。 でも、おかげでジュリナはしばし花影に埋もれるようにしていた。
出かける直前、ポッポが和室に現れジュリナに近寄った。 もしかしたら百合の花の匂いに惹かれたのかもしれないけれど。 頭から背中のあたりにクンクンと鼻をくっつける。 他の猫のだれよりも熱心に匂いを嗅いで、今度は足元に移動するとまた匂いを嗅いだ。 不思議そうな様子だった。
死しても尚、生前の匂いがするんだろうか。それとも病院や薬品などの異質な匂いをいぶかしんだのだろうか。 猫ならぬ私には、わからないが、しばしそうやって匂いを嗅いで、ポッポは立ち去った。
夕方、ジュリナの火葬がすんで、骨壷の入った紙袋を下げ帰宅すべく歩いていたとき、急に涙がにじんできた。 家に戻り花を飾っていると、みんなが近寄ってくる。 まさか、一緒に焼いた鰹節の匂いがするわけじゃあるまいし。 そう思ったら、また急に涙がにじんできた。
もう、あの印象派の油絵のような毛並みを触ることはできない。 あの、甲高い甘ったれ声を聞くこともできない。 それも寂しいことだけど、それとも違う、ただ「ジュリナがいないんだ」というそれだけで、不意に泣きたくなる。
ああ、そうか。 私はきっと、自覚していた以上に、ジュリナのことが好きだったんだんだなと思ったら、悲しくて悲しくて鼻の奥が痛くなってしまった。
昨日、息を引き取って間もないジュリナは暖かくて、寝ているときにいつもそうだったように半眼だった。 今日、ジュリナの身体は冷たくて硬かったけれど、毛並みの手触りは生きていたときと同じだった。
それを思い出すたび、「もうジュリナはいないんだ」ということを再確認する。
2004年08月26日(木)
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