にゃんことごはん
ごはん



 雅さんやでぶっちや……みんなと再会しているころだろうか

朝一番で火葬の手配をした。
病院で精算し、花屋で花を買う。

花で飾るのも、布で包むのも、私の自己満足だ。
葬儀というのは、生き残ったモノのための儀式なんだからと呟きつつ。

昼前、お悔やみの花が届いた。
昨日いや今日の明け方近くに更新したのに、と驚いた。
でも、おかげでジュリナはしばし花影に埋もれるようにしていた。

出かける直前、ポッポが和室に現れジュリナに近寄った。
もしかしたら百合の花の匂いに惹かれたのかもしれないけれど。
頭から背中のあたりにクンクンと鼻をくっつける。
他の猫のだれよりも熱心に匂いを嗅いで、今度は足元に移動するとまた匂いを嗅いだ。
不思議そうな様子だった。

死しても尚、生前の匂いがするんだろうか。それとも病院や薬品などの異質な匂いをいぶかしんだのだろうか。
猫ならぬ私には、わからないが、しばしそうやって匂いを嗅いで、ポッポは立ち去った。

夕方、ジュリナの火葬がすんで、骨壷の入った紙袋を下げ帰宅すべく歩いていたとき、急に涙がにじんできた。
家に戻り花を飾っていると、みんなが近寄ってくる。
まさか、一緒に焼いた鰹節の匂いがするわけじゃあるまいし。
そう思ったら、また急に涙がにじんできた。

もう、あの印象派の油絵のような毛並みを触ることはできない。
あの、甲高い甘ったれ声を聞くこともできない。
それも寂しいことだけど、それとも違う、ただ「ジュリナがいないんだ」というそれだけで、不意に泣きたくなる。

ああ、そうか。
私はきっと、自覚していた以上に、ジュリナのことが好きだったんだんだなと思ったら、悲しくて悲しくて鼻の奥が痛くなってしまった。

昨日、息を引き取って間もないジュリナは暖かくて、寝ているときにいつもそうだったように半眼だった。
今日、ジュリナの身体は冷たくて硬かったけれど、毛並みの手触りは生きていたときと同じだった。

それを思い出すたび、「もうジュリナはいないんだ」ということを再確認する。

2004年08月26日(木)
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