にゃんことごはん
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 九を重ねて重陽なり 思い出すは思春期のころ14歳

1月1日が元旦、3月3日が桃の節句、5月5日は端午の節句、7月7日は七夕……そして9月9日は重陽の節句。

41年まえのこの日、同級生が心臓発作で亡くなりました。ちょうど、朝礼のために校庭に出たところで発作が起き、救急車で搬送中に亡くなったと記憶しています。
同級生の突然の死には“びっくり”しました。彼女が亡くなってから、心臓に重い病気を抱えていたこと、そしてそれは、彼女と親しい友人だけが知っていたことを知らされました。
当時、中高一貫教育の学校の中学3年生だった私は、彼女とは1年2年とクラスが異なり、3年になって初めて同級生になったのです。そう親しいわけでもなく、だからと言って、1学年150人程度の規模ですから、話をしたこともない、というほど疎遠でもなく……。

彼女の死後、文集を出すことになり、私も彼女の思い出を書いたのですが、あれは、苦しかった……。だって、大して知りもしない、それまで気にもかけていなかった同級生なのに、彼女が“私にとって”特別であったかのような何かを書かなくてはならないことに、そしてそんな思い出もないことに、ほんとうに途方に暮れたものです。

今、その文集を読み直してみると、それらしく仕上がった私の文章があります。自分でも辟易しながら書いた、その心情までも思い出されます。
そして彼女ととても仲の良かった同級生が、「彼女が死んだことで、みんなが彼女のことを知りもしないで色々言うだろうことが、悲しい」という趣旨の文章を書いていて、それを読んだ途端、当時、自分が彼女のことを知りもせずに書いた文章を、深く深く恥じたことまで、思い出してしまいました。

それらしく仕立てあげないで、自分は彼女のことを知らなかった、という立場で、なぜ書けなかったのだろう。
知らなかったけれど、彼女がなくなってから、彼女のことを知りたいと思った、という正直な気持ちを書けばよかったじゃないか。
でも、当時の私には出来なかったのでした。
そこそこ文章力があるという取り柄ゆえに、そこそこそれなりの賞を取ったり、学内のあれこれに文章を添えることを依頼されたりしていた私は、相手が望むような文章を書くことはできるけれど、自分の心情の発露としての文章表現はできなかったのです。その経験が、その後の自分に、いろいろ影響を与えてきたなぁと思いますが、それは別の話なので、置いといて。

毎年、9月9日になると、彼女のことを少しだけ考え彼女の面影を少しだけ思い出します。そのとき、私は14歳に戻ります。

成長して大人になったつもりでいても、14歳だったころの私は、今でも私のなかにいます。
でも、その後の、たとえばリュウを授かってからの私も、ニャンと出会ってからの私も、やっぱり、私のなかにいます。運命の猫ショーとであったときの私も、います。あ、もちろん、その時々の恋愛に涙した私もいます……すっかり忘れているけれど。
私のなかに、同時に存在する、その時々の私。
社会のなかで、恙無くやっていくためのスキルは多少身に着けたかもしれないけれど、私は私のまま、私のなかに今もいるのかもしれません。

閑話休題。
前回の日記で、リュウの夜ご飯のことを書いたのですが、帰宅が遅いから(ちょっとヘビーな)から揚げは、明日のご飯に、なんて言っていて、ちゃっかりその夜のうちに「そうそう、チキンがあったんだよね」とリュウに食われてしまったのでした。よって翌日のご飯は、一から作る羽目に。
ま、そんなものです。

2012年09月09日(日)
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