にゃんことごはん
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 色男 金と力はなかりけり でも猫だから関係ないね

狂歌にも詠われるように、容姿のいい男は、取り柄は容姿だけ、ほかにはないと貶められるもののようです。女性が男性を見るときも、「男は顔じゃなくて中身なんだから」とアドバイスされると思います。
そもそも“色男”という言い方が、興味深いですね。
対して、容姿の美しい女性のことは……などという話は、それはそれで面白いのですが、本題ではありません。 

猫の話です。

猫は猫であるがゆえに、可愛いのがお仕事。
不細工は不細工なりに可愛い、美形は美形なりに美形で可愛い。ハンサムだからと言って、人間の男子も女子も「この子は外見だけ、中身はない」などと言いません。「あなたはなんてハンサムさんにゃの〜」とデレるだけ。

では、美形猫と色男猫の差異はあるのか?
美形猫=色男猫なのか?
それが今日のテーマです。

我が家のショーは、別名、私の愛人(愛人猫?)です。昔、日記にも書いたと思いますが、ショーがもし人間の男だったら、私はきっと破滅するぐらいの勢いで貢ぐんじゃないかと思います。
ではなぜ彼が「愛人」なのか。ニャンやレンではダメなのか。

もちろんショーは美形です。ですが、顔立ちの整い加減ではニャンもレンも、そう遜色ありません。
レンなんて左右の目の色が違って、それはもう目だけ見たら宝石のように美しい神秘の猫です。ただ何分にもぶーたん(でぶ体形、ドタバタした走り、甘えたな性格)なので美形からは外れます(でも色男猫にはなれないけれど、マイナスポイントではなく別の意味ではプラスポイントなのが、憎い。)。
ニャンは、多少太ったりもしましたが、骨格も大きく尻尾もスラリと長く毛並みもふさふさで、今は年取ってしまいましたが、若いころは女子に間違えられたりもしたものです。その意味では美形猫です。が、ニャンは愛人ではありません。

この点について考えてみたいと思います。

まず猫に馴染みのないリュウの友人たちは、みなショーを「美形」と言います。アメショー特有の毛色とか柄のせいもあるでしょう。
見た目、ニャンは目が真ん丸で大きく猫らしい顔立ちです。一方、ショーは、アメショーにしては目も小さく、ちょっと釣り目で華やかさに欠けます(だからこそ、ショーに出る猫として大事に育てられることなくペットショップに売られたんでしょう。体格もアメショーにしては小さいですし)。
ですが、猫についての知識のないリュウの友人たちにとって「アメショーとして」という前提条件は、あまり意味がありません。
では、なぜ、ニャンは美形ではなく、ショーが美形なのか……。

中学生、高校生ぐらいの男子の美的価値判断の基準は、実は「雰囲気」だったりします。転校生は3割り増しで美人だし(謎な分、割り増し)、人気のある女子も割り増しで美人になります。あとはファッション(高校生になると、自分好みのファッションの女子に対する評価は、ダントツで高くなるようです)ということを踏まえると、ショーとニャンの決定的差は、「雰囲気」

ニャンは社交猫なので、お客様が来るといそいそとお出迎えしたりします。リュウの友人たちには、最初、びびっていましたが、慣れればスリスリもします。ちなみに、ヒッキーなキラはともかく、レンも慣れない人がくると居間には寄り付きません。ビビリだから。
ショーは、知らない人が来たからといって寄っていきもしませんが、居間によりつかないということもありません。遠巻きに観察して、大丈夫そうだと感じると、いつものようにいつもの場所でカリを食べたり水を飲んだり、興味をひくことがあるとじっと見ていたりします。

これを人間に置き換えると、愛想よく「いらっしゃい」ともてなしてくれる日本人の男性(もしくは女性)には安心感を抱きますが、寄ってくるでもなく無視するでもなく、敵意はなくこちらを見ている、もしかしたら異国人かもしれない男性(もしくは女性)には、ちょっとミステリアスなものを感じたりするのではないでしょうか?(好みかどうかはおいといて、見た目、美しい、という前提条件があったとしたら)

もう一つ特筆すべき点として、佇まい、というものがあります。
ショーは佇まいが、美形です。まあ、砕けて言えば、気取っているわけですが、猫ですから意識して気取っているわけではないと思います。
でも、座るときはきっちり前足にシッポが巻きついているとか、その前足がガニ股ではなく、バレリーナのようにまっすぐだとか。
ニャンは、その点、どこかが緩く(それゆえに可愛いのですが)、美形とはちょっと違う佇まいだったりします。

そして、何よりもショーが“私にとって”「愛人」である所以は、以下にあります。
彼は、ツンデレです。普段はツンでカッコつけています(カッコつけているように見えます)。でも、なんの気まぐれでか、デレます。おなかが空いたときとか、あとは、多分、気分なんでしょうね。スリスリと寄ってきます。
そして、ふと気づくと、じっとこちらを見ていたりします。
そういう、ふとしたときにこちらの内面の何かを鷲づかみにする、ワザを持っている……。

以上を踏まえると、色男な猫とは。
1)美形である(個人の嗜好はあるにせよ、あまりにマニアックな嗜好は、外れる)
2)どこかに近寄りがたい雰囲気がある。拒絶しているわけではないが、愛想よく寄ってくるわけではない。(ショーの場合、ツンの部分が該当する)
3)稀にデレがある(それは必ずしも飼い主に対するデレでなくてもいいかもしれません。ツンな彼が唯一デレる猫がいる、みたいなのでも、OKかな、と)

美形猫(我が家ではニャン)と、色男猫(我が家ではショー)の差異は、2)と3)にあります。
これは、我が家の私の好みによる判断基準なので、2)と3)は、人によって微妙に変わる条件だとは思います。
美猫というだけでない、他人には承服しかねるとしても自分にとっての琴線をくすぐる“ワザ”を持っていることが色男猫として大事なことなのでしょう。
往々にして、その“ワザ”は飼い主当人だけでなく、似たような嗜好の周囲の方たちにも通用したり……するのでしょうか?

さて人間の世の中で売れてるホストは、一に愛想、二に愛想らしいので、人間界ではニャンのほうが色男なのかも……。
とはいえ、猫を愛するひとたちは、少なからず猫の気まぐれさ加減を愛しているが故、ツンデレが好まれる、という前提は成立するかもしれません。

2012年11月26日(月)
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