木が描けない。 2001年08月19日(日)
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木が描けない。考えてみればまともに向き合って木を描いたことほとんどなかった。
描いたことないクセに、画面に大きく取り入れて想像で描くのは身の程知らずのような気がしてきた。車で20分ほどの所に、私のイメージにあった雑木林があるので行く。不思議なことに(?)雑木林は夏だった。私のイメージは冬なんだけれどなぁ。鬱蒼と生い茂る。
蚊に食われまくって、相棒は早々に退散。私とチビは虫除けティッシュを露出部に塗りたくっていたので軽傷。私は何故かズボンの上から尻を食われたよ。くそ。セミがわんわん鳴いていて、不思議な気分。地面は何故茶色いかというと、枯葉の層だから。幹が何故暗く黒く見えるかというと、木の向こうの空に焦点を合わすと逆光で強すぎるコントラストだから。木を描くにしても、真っ直ぐにのびる杉もあるし、節くれ立ったポプラもあるだろう。この雑木林にはポプラはなかった。ポプラは駅近くの公園にあるんだ。そこにも行ってみなくては。
緩い複雑な坂と遊歩道。しゃがんでみても、木々の下草の向こう側に、低い地面を見ることはできない。この程度の斜面では水辺はあっても見えないだろう。
そんなことも分からないで絵なんか描けるか。なんかわけ分からない木を適当に描くのはイヤだなぁ。
想像で描いているのに、この辺の整合性がすごく気になってきた。木は何の木か分かるようにしたいと思う。えっと、雑木林に行った感想は、木を描くのなら、木の肖像画を描きたい。この計画に自分で目眩がする。だんご虫を見つける。だんご虫はいいヤツだ。枯れ葉を食べて、腐葉土にする。エライヤツだよだんご虫。相棒と話す。本当に世の中の役に立ついいヤツだ。
自分が生きている証明なんか
いらないやもう。
だんだん妄想がひどくなる。こりゃ今月中に早々に終わらそう、なんて思わずに、木々の一本一本こだわって描く方が良いものができるんじゃないかしら?
木が生きていた証明を知らせるために、木の肖像画でも描こう。木の下の方に小さな若木があったりするとほっとする。切り株の傍に出ている新芽にも。まるで親子みたいじゃん。
平成16年までと立て札があった。この雑木林は私有地を市に貸し出したもので、16年が返還日。あと3年もしたら、この辺も住宅街になってしまうかもしれないなぁ。
by HPY
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