暮らし。「人・家・木」の絵を描きなさい。 2001年08月22日(水)
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チビが軽く熱出し、生意気にもお友達問題も絡んで、登園拒否している。一日休ませた。チビのペースにあわせると、眠くなることこの上ない。結局自分のぺースで夢中になって何かやる時以外、私はとことん無気力というか、省エネモードに突入してしまうようだ。
本を読んで聞かす。聞いてなかったようだが構わず読み進める。
「イタリア・ギリシャの暮らし」ジュニア文庫。
イタリアとギリシャの歴史を簡単に再認識。
TVでやっていたネロとアグリッピーナ、ポンペイの悲劇が生々しくだぶる。
俗に「暗黒の千年」と言われる厳格な中世キリスト教時代末に、ローマとアテネ古代遺跡の発掘が進み、それを一つのきっかけにして爆発するルネッサンス(人間性の復興)。わずかな量の文章だが、やはり感動的。その背景には常に経済があり、うん、政治よりも経済。富裕層が芸術に出資するかという感じ。
没落は大航海時代と共に始まる。地中海貿易があまり重要でなくなり、富裕層が没落し、芸術も中心地ではなくなる。ふーん。
また私の憧れの「シエスタ」の習慣が載っていた。(^^)やっぱでも田舎以外では廃れつつある習慣なんだそうだ。あぁ、のんびり生きたいと思うのはもう罪悪なのかしら?それとも日本人だから強烈に罪悪感を抱かざるを得ないのかしら?なんて思ったり。
でもイタリアには「スローフード」運動があるらしい。ちょっと面白い。ファーストフードの対義語。「早食いをやめて、家族と顔を合わせてゆっくり美味しい家庭料理を味わいましょう」、という運動らしい。
もう怠け者なので、こういうのんびりしたところばかりに目が行く。でもそれは本当に怠け者だから(なんだろうけれど)、他に意味はないのかしら、アンチテーゼはないのかしらと、あやふやな言葉が宙を舞う。それをそれとなく楽しむ私。
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人生に必要なのは「愛情と働くこと」と晩年フロイドは言っている、と毎日新聞にコラムがあった。ほうほう、究極はやっぱりこれか。おっ千と千尋か?なんて思ったりして。
コラムを書いた人は、アートセラピー&精神病研究の人らしいのだが、「家と人と木を入れて絵を描きなさい」というお題に、若いエリート社員がもっとも最小限の構成しか入れない絵を描く傾向があるとめちゃくちゃ危険視していた。
「家と人と木」。自分でも記号的に描いてしまうかもしれない。たくさん描いてもいいんだよって、きっと一つずつしか描かないんだろうな。でも、もっと家や人や木を親しく見ている人だったら、多彩な絵が描けるよね。
木は種類によってあらゆる形があるし、季節によって色も形も変える。それは街で見られる木々でも当然そう。
家も人知を尽くしてあらゆる形がある。
でも実は、私がいろんなものを見るようになったのは、高校を出てからだ。それまでは何も感じず何も見ていない子供だったと思う。もちろん植物音痴、季節感ゼロ。(^^;
ものを少しでも見て心に留められるようになったのは、絵を描きだして2年ほど経った頃かなぁ。一人暮らしをしていた。
初めて桜を見ることができた、その事を覚えている。
それまでは桜も梅も桃も区別つかず、つぼみなんて目に留まったこともなかった。初めて見つけたのは、お風呂屋さんに行った帰り道。雑司ヶ谷商店街裏付近、路上に大きな桜があって、街灯に照らされていた。気持ちはみじめで孤独だったけれど、出会えて嬉しかった。綺麗だったなぁ、桜。
家もそう。発見した時を覚えている。
一人旅に行って、屋根の角度が地域ごとに違うことには驚いた。景色はどこも同じではなかった。(駅や駅前商店街は同じだったけれど)
空・海・山は大きくて恐かった。
空は四角く囲われていないと変な感じだった。
人の顔が長野の顔、茨城の顔、岡山の顔、大阪の顔、み〜〜んな違うことも大発見!池袋の光と西武球場付近の光は違うこと。初めて行ったときは、夢のようだった。なんて光が暖かいんだろうって。天国みたいだぁーって。うん。変だよね。でも南の国に来た気分だったのよ。
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警告コラムなので、これは80年代から始まった早期教育の弊害だとか言っている。その「家・木・人」の絵、最小限すぎて昔は精神病患者しか描かないような絵だったという方が気になった。お義母さんは、「絵を描かせて、その人の精神状態の何が分かるのかしら?」と言っていたけれど。
心にぽっかり穴が空く、ではなくて、最初から大空きで、周囲に埋め込むように小さな記号しかなくて、やっぱり真ん中は空洞だったりして。
by HPY
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