初心者の頃を思い出す。〜効果的な勉強法(?) 2002年01月17日(木)
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あーーー、せっかくカラーブラウザボードで日記書いたのに、アップする段階になってフリーズして消えてしもた。(T▽T)デジタルの一番イヤなところ。
しょうがないな、気を取り直してもう一度。
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水曜日は雨。
夕方からクロッキー会に参加しようと思っていたのですが、あっさり来週に延期することに。駅から遠いし、バイクで行きたかった。雨の日はツライし滑る。少々軟弱。
これを機会に、領収証の整理にケリをつける!やったぁ!やっと終わった(涙)。毎年この時期、1年分の山のような領収証を整理する。せめて毎月やれって感じもする。毎年「今年は毎日帳簿をつけよう」と誓うが、元の黙阿弥。ちなみに相棒の分。私は今年から。
お、事業者税の督促状?(^^;
第一期8月分は納めているけれど、12月分がない。相棒は納めた、と言っているが領収証がないぞ。領収証だせーー!!
去年一番苦労した、乳幼児医療費控除のための領収証もまとめる。今年はとても少ない。うむ、3歳になって病気がぐんっと減った。1〜2歳の時はしょっちゅう病院に行っていたものなぁ。
もっとも領収証を整理したといっても、スクラップブックに項目別に張り付けただけなんだけれども。入力作業が待っている。でもすでに達成感が。(^^;
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木曜日。小雨。
今日はセンセの日なのだが、先週組んだ腐ったマンホールの蓋モチーフ、エスキースいっぱい取って気に入ったので自分も本画を描くことにする。
いやぁ、静物画なんて久しぶり。ちと興奮気味。「描きたい!描きたい!きゃー!」って感じ。
しかし朝、道具を用意しながら気が動転する。
油絵の具、でかいパレット、筆、オイル、地塗り済み15号パネル、あ、筆洗器も持って行かなきゃ。う……でかすぎる…………。
これは小分けしないとダメだ。
いきなり油絵は諦めて、まずテンペラ下絵作成をすることにする。
そうすると、パネルの他は、
・顔料7瓶
・卵溶液1瓶
・梅皿
・蓋付き小タッパ(絵皿代わり)
・筆 (日本画用筆(面相・削用)と平刷毛数本)
あ、こりゃ軽いわ。
顔料は、チタン白、テールベルト(緑)、イエローオーカー(黄)、バーントシェナ(赤茶)。ま、こんだけあれば下絵には充分でしょ。
一応色味としてコバルトブルー、パーマネントイエロー、パーマネントレッドも持っていく。
赤色にバーミリオンを使わないのは、アルコールがないと溶けないからです。荷物ひとつ増える。(^^;
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今の生徒さんの(というか初心者の)欠点がだんだん見えてきた。
ものを見て描くのは一生懸命なんだけれど、どうしても画面の流れが見えてこない。最初のエスキースで「明暗」の「構成」を考えよう、
次のエスキースで「色」の「構成」を考えよう、とアドバイスする。
2番目の色構成まで考えられる人は少ないけれど、水彩画の人はトライしていた。モチーフの固有色(固有色でなくてもいいけれど)と、画面の中で一番広い範囲になるだろう背景の基調色の比較を、エスキース段階で頭に入れておけ、ということだ。画面上であれこれ悩むよりもまず、エスキース段階で検討して置いた方がいい。
なーーんて、言葉で言うとすごく難しそう。でもちゃちゃっと自分のクロッキー帳にラフを描いてやると、すぐに分かってくれる。あぁ美術講師のいいところ。口べたでも描けば分かる。まさしく百聞は一見にしかず、だわさ。
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でも、私が初心者の頃は、先生にクチで何度言われても分からなかったなぁ。反論してももちろん負ける。何しろ「何が分からないのかが分からなかった」から。
何年かした後、自分で本を選んで読んだ。
正確には読んではいないんだけれど。言葉で書かれてもよく分からないんだもの。どうも実感がわかない。でも、私の選んだ美術技法書の前文にはたいてい、「参考図を書き写して覚えろ」とか書いてあったので。
共感した。
「読書百遍意自ずから通ず」ですか。勝海舟と同じで、書いちまって身につける。
私が模写したものは、「美術解剖図」図版。「ヨハネス・イッテン 色彩論」カラーチャート。
「カンパンの肖像画」、「ベリーニのピエタ」。名前は忘れたけれど「世界素描体系」のデッサンを10枚くらい。盛期イタリアルネッサンスのとか、ドーミエとか。
途中で挫折したのは構図と透視図法。
あとは忘れた。本から気に入った文章ページ毎丸写し、なんてのもあった。そのころの書斎は安い喫茶店、アトリエは母が学生の時におじいちゃんに作って貰ったという、古い大きな机の上。辞書を何冊も重ねてパネルを置いて、斜めの作業台にした。
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本や画集の模写は、今思うととても効果的に身に付いたと思う。言葉を超えて。
学生の時は、先生の言葉に動揺しすぐ混乱する、イヤな生徒だったと思う。
自分で勝手に勉強しだしたころから、縁がなかったのか見放されたのか、先生はすでに誰もいなくなっていたんだけれど。
by HPY
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