絵画制作日誌    Diary INDEXBACKNEXTHOME GALLERY


ふるさと         2002年02月05日(火)

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えっと、また軽く1週間空いてしまったな…。

金曜日はさすがに描いていた。
森の狩人というか、単にうずくまって得物を取って立ち上がろうとしている人、かな。前方に柱のように存在感のある右腕と見上げるような顔の他には形が全然分からんぜよ。鏡の前でポーズするが、あまりにも厚着、モコモコの服(だって寒いんだもの)、おんなの丸い身体で良く分からない。壮健な男が描きたいのに。

土曜日はチビも相棒も置いて一人で講評会に参加。この頃になると、大分昔の感覚を取り戻せそうになる。昔の感覚とは、常時神経尖っていて、身震いするような、身震いするたびに背中の毛が全部逆立つような、そんな感覚。細かい物音に気をたて動きは鋭く、押し黙ったような思い詰めた顔つき、全神経が眼になってしまったような、ピントばっちりなカメラアイ。そんな感覚が好きだ。うん、好き。何よりも増して懐かしい。そんな思惑で参加する。眠っていたパワーが甦る。


しかし、作品は持参できなくて。しかもいきなり呑み会になってたな。陳列された作品は抽象画多し。
誰かにも言ったけれど、具象に対する抽象ではない。いうなれば心象風景とか、色実検のような。しょっぱなからチューハイがんがん呑んで、久しぶりなので早々に酔いが入る。何しろチビも相棒もいないからなぁ。

そのうち寂しくなってしまった。
それは居るべき家族がいないからではなくて、こんな時間を過ごすことが日常だった頃への憧景。めっきり減ってしまった。切り捨てたのはそしてそれを選んだのは、他でもない過去の自分。居住地が代わるたびにかなぐり捨てていったのはなんだったんだろう?そんなこんなでかなり感傷的になってしまった。うん。酔っていた。


みんなの作品を見た感想は、形がとれなかろうが、技術が拙かろうが、まず粘り強く完成に持ち込まねば何も始まらない、ということ。形が決まらないと挫折する。これも昔からの悪い癖。何万回でもひとり反省会を繰り返す。

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日曜は二日酔いで一日中だらだらと寝てる。あぁ、風呂屋に行きたいなぁ。でも相棒にその気はなくてやんわりと却下。東京で一人暮らしをしていたころは、毎日風呂屋に行っていたから、またちょっと感傷的になる。一日の疲れや迷いをあの広い風呂で流すと、澱が取れて生まれ変わったようになるんだけれど。長湯好きの私、ひたすら考え事にふけながらサウナにいたりした。


今はわざわざスーパー銭湯に行かなければだから。うーん、日常というか生活の一部にはなりえないだろうなぁ。


一度ならず何度も後悔したのは、結婚してから田舎の一軒家に居住を移したことであろうか。なんとも贅沢な悩みだと思いつつ、家に執着のない私は、根無し草だったあの頃を未練かましく思い巡らす。まぁ、どこでも住めば都なんだけれどね。5年以上、いや、これから何十年も一つのところに居を構えなくてはならないとは、メリットも多いが目眩はやまない。


さらに相棒に頼らなければどこにも行けないというのは実に情けない。そういう意味でも車の免許を取らなくちゃと思い新たにする。本当に一人ならばいいんだけれどね、愛する原チャにまたがってどこにでも行けそう。1日80kmくらいはいけるだろう。これは東京往復の距離だ。昔は何度か通勤したこともあったからなぁ。

しかし原付は二人乗りできないし、できたとしてもさすがに恐ろしくてチビを後ろに乗せる気はない。

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月曜日は何をしていたんだっけ。いろいろ写真集をみたり、またWEBの小説に詠み耽ったりしていた。溺れているだけなのか、と思ったけれど、プリントアウトして製本して、5回も6回も読んでいるヤツがあって、ほとんどバイブル。製本して初めて気がついた。かなりの量だわこりゃ。一気読みしていつもどうしてこんなに時間がかかるんだろうと思っていたが、文庫本くらいの厚さはあるよ。

そんでね、その何度も読めば荒も見えるし、話の真髄もうっすら分かってくるというもの。それで分かったことがひとつあって、その事に少し驚いた。

主人公は才能も人望もあるのだが、自分で疎ましい人間だと思っている。いつもいつも思っていて、まぁ物語だから途中何度も戦争があったり美しい娘が現れたりするのだけれど、結婚してからも、ずーっとずーっと自分は疎ましい人間だと思い続けながら生きているのね。疎ましいというのは主人公が人殺しだからなんだけれど。他人に迷惑をかけないよう距離を保ちつつ生活しているが、ひとたび戦争となると一番の働きを見せる、人殺し。兵士。舞台は中世。

いくらなんでもずーっとずーっと思い続けるのは辛いんでないかい、とわたしは思っていた。次にこの物語の作者は、どうして自分を疎ましいと強烈に思う人間を主人公にしたのかなって。そんでそれを好んで読むわたしは何なのかな。

彼は殺す理由をずっと考えていて。大勢殺しても自分が生き残る理由をずっと考えていて。生き残らなければいけない理由は時折ちらりほらり浮かぶんだけれど、やっぱり自分が他を差し置いてまで生き残らなければならない理由は見つからない。で、ずーっとずーっと考えている。抽象画は玉ねぎの皮とよくいうが、主人公も皮を剥ききってしまっている。結局そこには何もなかったことに気づいてか気づかずしてか、果てしない時間途方に暮れている。

その辺。

人に迷惑をかけたくないと思う余り、自分よりもっと相応しくあなたを幸せにする人がいるだろう、自分を見捨てるように、と問い諭す。その論理。どこから生まれた?そんなこと愛する人に言われたら言われた方がとっても悲しいんですけれど。


おっとわたしも落ち込むと相棒に良く言っているわ似たようなこと。ははは。


「突発性謝り症」とでも言おうか、他人をみると猛烈に謝りたくなってしまう時々のわたくし。それは何故。

この太宰に気づかされた自死者の論理に強烈に共感を連ねてしまう、それは何故。あぁ、人間故の悩み。(苦笑)


もっともこの物語は世代が代わって一応救いがあるんですけれど。新しく始まる子供はいつでも誰かの希望なのかも。

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そういえば日曜日、鴨居玲の特集をやっていた。ここにも玉ねぎの皮を剥ききってしまった人がいた。香月とならんで、昭和中期の早死にトリオ。見ていて毛が逆立ったよ。


昔書いた走り書きを思い出す。
からからの砂漠に建っている先人たちの金字塔。
そんな映像がフラッシュする。

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火曜日は、反動でばかばかしいお話を読んで笑っていた。あ、仕事もした。
そんで笑い飛ばして、思い詰めていた自分がばかばかしくなったりして。自嘲がやまない理由というのはうすうす知っているんだけれど。考えるべき悩みなのか、余計な考えなのか。ただ前に進むだけなら行動あるのみだけれど、効率主義からどんどん身を引き離しているわたしには、それはとても棄ててはおけないことに思えるのだよ。

空は智恵子のように広いと違和で恐怖、でこぼこの四角がいい。あんまり日当たりはよくないが、この辺がわたしの故郷なんだろうな。

by HPY


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