少女マンガ界の『こち亀』と言われ(?)、
今年で連載開始から丸四半世紀を迎える長編大河マンガ『ガラスの仮面』って、
最近一体どうなっているんでしょ?
個人的には少女マンガはあまり読んだ事がないクチなのですが、
この作品だけはコミックス全巻を揃えているファンです。
私の持っているのは41巻までなのですが、その後新刊も出ているのかな?
何せ、なかなか続刊が出ないので現在の状況を把握しておりません。
初めてこの作品を知ったのは、アニメが先でした。
大学時代の夏休み、夕方に再放送していたのをふと見たのがきっかけで
原作も読んでみる気になったのです。
リアルタイムの放映がいつだったのか知りませんが、
勿論、まだ連載途中のアニメ化ですから、
確かコミックスで言うと第11巻あたりまでしか取り上げられてなかったはずです。
まだまだ話の入り口ってとこですよね。
そして、私が初めてコミックスを買い始めた頃には30巻ぐらいまで出てたでしょうか。
それからもう14,5年経ちますから、その間に10巻余りしか続刊してないのは
むしろ少なすぎますね。
現にやはり同じ年から始まった『こち亀』はもうとっくに100巻を越えているし。
ここ数年は殆ど途切れがちです。
美内すずえはホントにちゃんと結末を考えているのかな?(笑)
どーも予想では、マヤは真澄さんとは結ばれず、紅天女=月影先生と同じ道を歩みそうな感じですが。。。
それはさておき、私がこのコミックス買い始めたときには
まだ二十歳ちょっとだったから別に違和感なかったけど、
前回、最後に書店で購入したときにはもういい年したオジさん。ちょっと照れくさかった。
と言う事は、これからますますキツクなる。。早く完結してくれ〜(笑)。
それに実際、四半世紀も経っていれば、今読むと内容的に随所に古臭い部分が出てます。
美内すずえ自身は普遍性をかなり意識していて、なるべくその時々の流行を作品の中には取り入れないように
務めていたそうですが、でも、どうしてもひとつだけ時代を感じさせてしまう部分があるそうです。
それは電話のシーン。何せ25年前にはまだダイヤル式ですからね。それが今や携帯です。確かにIT革命は進んだもんだ。
話がそれますが、
先日土曜ワイド劇場か何かの古いサスペンス物の再放送を見ていて、
電話シーンの時代性を痛感しました。
主人公がふとどこかで犯人一味を偶然見つけ、一人でこっそりとつけて行って、
とうとう一味のアジトを発見する、というようなシチュエーションでしたが、
その場を離れることができず、仲間に電話で連絡できないでいるうちに、
逆に相手に見つかってしまい囚われの身になってしまう・・・という展開でした。
でも今なら単に、携帯で連絡すりゃいいじゃんかよ〜と言うわけで、
そもそもこういうプロット自体が成り立ちません。
そういえば、往年の古典的名作『君の名は』を始めとする、愛し合う者同士がいつもすれ違ってしまうラブ・ロマンスも、
今なら会えなきゃ携帯で連絡とればいいじゃんか、というだけの話にしかならず、テーマ自体が成立しませんね。
「君の名は」と聞く代りに、さっさと携帯の番号を聞いておけって感じ(笑)。
閑話休題。
話を『ガラスの仮面』に戻しますが、この作品のいささか古臭いところは、
基本的設定において、演劇界のスポ根物路線を踏襲しているところですね。
主人公=マヤ=貧乏人・ライバル=あゆみさん=大金持ちという対立図式は、
『巨人の星』『アタックNO.1』とかの60年代スポ根物以来の典型パターンに
添っていると言っていいんじゃないでしょうか。
尤も、でも継続は力なり、で、時代が1回転すれば新鮮な図式として読めなくもありません。
また、山あり谷ありの迂路を経ながら少年(少女)が完成を目指していくという構造は
19世紀のドイツ教養小説以来の伝統的パターンでもあります。
この作品が普遍性を持っているゆえんはもしかしたらその辺にあるのでしょうか。