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2001年06月03日(日) 勧善懲悪の世界

『暴れん坊将軍』と言う、もう20年以上続いている娯楽時代劇があります。
有名なドラマだから今更改めて説明するまでもないですが、
8代将軍吉宗が身分を隠して江戸市中を徘徊、
そこで出会った町人たちを助けて、最後には悪を懲らしめる、というパターンの、
『水戸黄門』などと同じ勧善懲悪物のドラマです。
しかしこの物語を見ていると水戸黄門とは違う、そして大きな矛盾がある事に気がつきます。

それと言うのは、毎回のように悪の親玉は老中やら勘定奉行やら幕府高官で、
それが悪徳商人とつるんでいるのですが、
しかし吉宗は将軍なのですから、それらの高官は吉宗の側近であり家臣です。
だったら吉宗は、次から次へとそのような悪人を登用し跋扈させていた
自己の不明をまず恥じ入るべきであって、
正義漢気取りで成敗していい気になっているのは見当違いも甚だしいと言う事になります。
市中にノコノコ出かけて小さな正義を振り回して自己満足しているヒマがあるなら、
まず江戸城にとどまって善政を敷き人事をしっかり掌握して
足もとの悪そのものを生まぬようにするべきです。
それこそが将軍としてのあるべき姿でしょう。
だからそれに気付かず見せかけの正義に酔っている吉宗こそ実は一番の大悪人なのです。

勿論これは揚げ足取りの話です。でもこれが水戸黄門の場合なら
同じように見えて一応の筋は通っています。
黄門様は隠居の身であり、そして水戸中納言は権威はあるが別に権力者ではないのだから、
その意味では彼自身権力に対してはアウトローです。
彼が幕府の悪代官を懲らしめることは決して矛盾しません。
また、水戸黄門では印籠がでれば悪人も恐れ入りますが、
これは実は、葵のご紋の御威光に恐れ入ったのではなく、
黄門様の人間的威厳に打たれているのです。
だって暴れん坊将軍では、相手が上様とわかっても悪人は斬りかかってくるのですから、
それと比較してみれば、これは権威ではなく人徳の問題でしょう。
そう言う点で、水戸黄門の正義は通用するが、暴れん坊将軍の正義は欺瞞的なのです。

尤も、その黄門様にしても、たかが地方の小役人程度をいじめて正義漢振るな、
と揚げ足を取る事もできます。
そもそも犬公方の大悪政を糾す事もできず、つまり元凶の巨悪を放置していて、
のんびり世直し旅もないものでしょう。そう言う意味では水戸黄門も暴れん坊将軍も偽善者です。
悪人が善人を装うから偽善者なのではなく、
むしろ善人が己れの善なるを信じて疑わぬ事によって生じる欺瞞が彼を偽善的にしているのです。

勧善懲悪の世界というのは、一見、文字通りはっきりとした善を勧め称賛する話のようですが、
実は善とか正義とは何なのか考えさせられる、含蓄深い物語だったのです。(ウソです)


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