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2001年06月11日(月) 反恋愛論2

ここ10年近くの間に売春をめぐる言説は全く変わってしまいました。
かつては保守派の道徳論者は勿論の事、フェミニズムも性差別反対の立場から
性の商品化である売春を否定するのが常識的立場でした。
しかし性産業の現実のあり方、
そして売春も労働としてその権利を認めよという一部の気運高まりに至って、
フェミニストは従来の立場からの”転向”を余儀なくされました。
『恋愛の超克』の著者が言うように、フェミニストにとって痛かったのは、
売春否定は売春者への差別だ、という、この「差別」という言葉です。
また、売春否定論が無根拠である事が、様々に論証されるにつれ、
売春容認論の立場はますます強化されていきました。
今では、売春否定論者は差別主義者として罵倒されかねない勢い(?)
にあるかのようです。
これに対して著者は、公然と反論しています。
と言っても彼は別に差別主義者ではない、
むしろ、売春否定を差別として非難する者が陥っている欺瞞を鋭く指摘しています。
特に槍玉に上がっているのがフェミニストです。
それはフェミニズムが、恋愛を称賛する(少なくとも否定しない)事と売春肯定には
矛盾があると言う事です。
フェミニズムは、悉く男社会を糾弾するが、しかし恋愛否定しない、むしろ依然とし
て讃美する。
であるならば、どうして愛のないセックスである売春の擁護者足り得るのか。
だから著者は、自ら愛のないセックスを実践し、かつ、自分の娘が売春婦になる事を
勧められるものでなければ、売春者への蔑視者足らざるを得ない、と述べています。
また、そのように言えないところに売春肯定論者の欺瞞があると言う事です。
著者の立場には、殆ど同意する反面、にもかかわらず若干の疑問も残ります。
私個人について言えば、私は愛のあるセックスがしたいし、また、
もし娘がいれば(独身ですが)、やはり売春婦になって良いとは言えないので、
従って著者の論理に従えば、私は売春者への蔑視者、差別者足らざるを得ませんし、
そしてそれならそれでも構いません。
実際、私の心の中には、売春買春は嫌だし、良くないと言う思いは抜けない。
それは私が、近代的な性愛一致主義に毒されているからなのでしょう。
だから、私のこの感情に著者の論理はすっきりと答えてくれるものです。
性愛一致が間違いだとはっきり言えない人が売春肯定と言うのは可笑しい
と言うことです。
しかし、他方で不満と言うか疑問も私にはあります。
それについてはまた書きます。(また続く)


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