黒澤明の映画に「生きる」というのがあって、
それは、意味のない人生を送ってきた人間が、
癌であと半年の命と知って初めて、
何か意味のある事をしたい、活き活きと「生きたい」と
渇望するという話です。
私は子供の頃テレビで見て、
重苦しくてウンザリして、実につまらなかったのですが、
でも大人になってから非常に苦しい想いで生きていたときたまたま再見して、
涙が止まらなくなりました。
ニーチェが「病者の光学」と言う事を言っていたと思います。
健康なときには健康のことなんかあまり考えませんが、
でも重い病気になったら初めて考えるし、
更に人生とは何か、を深く思い巡らせます。
つまりは、正常な状態からは物事の本質は見えない、
むしろそうでない状態からこそ考え得るという事です。
だから思想家は、
例えばフロイトは精神病から人間の心理状態を洞察したし、
或いはマルクスは恐慌から経済を考察したのでしょう。
ところでニーチェと言う人は、
それとは全く逆の事も同時に述べています。
彼は弱者正義というものを徹底的に批判してまして、
弱者が善だ、正しいというのは欺瞞だと述べています。
本来、善悪の判断と強弱は無関係です。
むしろ誰でも強者でありたいというのが自然な欲求ですから、
何も好きこのんで弱者になりたい奴はいません。
ところが弱者はその恨み根性を抱え込んで、
自分は悪くない、他人が悪いんだ、強い奴が悪いんだ、と
自己正当化を図ります。
こうして弱者こそが善であり、強者は悪である、という転倒が
成立するのであり、
このような捻じ曲がった弱者の根性こそが道徳の起源である、と
ニーチェは喝破しています。
こう言うとニーチェは強者で、弱者を誹っているようですが、
実はニーチェ自身が世の中から認められず、
恨み根性のかたまりみたいな人間でした。
だからおそらくニーチェは、自分に正直な、
そしてひとの心が見え過ぎる人だったのでしょう。
ニーチェは別に弱者を否定しているわけではない、
と私は読みます。(多分違うと思うけど)。
ただ許せなかったのは、自己欺瞞です。
ニーチェが再三述べていたのは、
自分を正しいと主張する奴をこそ尤も警戒せよ、
という事でした。
自分が正しいと思うのは、自分の弱さを偽っているのであり、
その欺瞞こそが最も悪なのだ、
だから自分の弱さを直視せよ、とニーチェは言っているのだと思います。
「善人どもの害悪こそ最も有害な害悪なのだ!」(『ツァラトゥストラかく語りき』)