いつもこの日記をお読みいただいているごく少数の奇特な方々、
ありがとうございます。
改めて言うまでもないんですが、
このエンピツ日記は時事・社会ネタのジャンルに登録してあります。
でも、そもそも時事ネタなぞ興味ある人はあまりいません。
また、その手の話は、もうニュース解説でされている事の
繰り返しになりがちですから、ますます面白くありません。
ましてこの文章はわけわからん、ひねくった言い回しが多いので、
いよいよもってつまらない事は請け合いです。
でも、懲りずに今後もこの調子で(笑)、行きたいと思いますので、
一人でも興味をもって読んでいただければ幸いです。
さて、また意味不明の話になるかと思いますが・・・、
われわれが今当たり前に前提にしている「子供」という概念は、
近代に見い出されたと思います。
例えば日本で江戸時代までは、武士の子弟は、
それが何歳であろうが「元服」すればもう大人でした。
別に大人と子供を分ける明確な根拠などそこにはありません。
単にそれは「元服」という制度が与えるものです。
そして、それは今でも多分そうでしょう。
成人式までは子供とか、或いは少年法の規定する少年の概念とかは、
別に何も根拠はなく、単にそういう風に決めたからそうなっているだけです。
また、歴史的に言うと子供と大人の区別は、
産業資本主義とブルジョワ社会の産物だと思います。
労働しないのが子供、或いは性的に未成熟なのが子供、
という新しく形で成立した概念・存在に過ぎず、
それ以前には今現在われわれが思っているような「子供」など存在しませんでした。
でも制度の不思議なところは、ひとたびそれが成立してしまうと、
なんか、大昔から本質的に、保護育成しなければならない「子供」というものが
存在していたような錯覚にとらわれてしまう事です。
でもそんな本質なんてありません。
だから子供の概念なんて、その時その状況に応じていくら変えても差し支えないで
しょう。
例えば30歳までは子供、としてもよいし、或いは逆に、
場合によっては、子供なんて存在はもう認めなくたって構わない。
では今は、どっちになるんでしょう?
よく言われるのは、人生50年の時代と80年時代とでは、
昔の20歳と現在のそれとは比較にならない、という事です。
そうなると成人の基準を引き上げた方がいいかもしれません。
一方、昨今の少年凶悪事件を見ると、少年法の謳う保護育成すべき少年、
或いは子供なぞはもはや現実には存在しないようにも思われます。
すると10代でも成人並みにビシバシ扱ってもいいかもしれません。
かつてフランスの哲学者ミッシェル・フーコーが言いました。
「人間」とは近代の産物であり、それはやがて砂上の楼閣のように消え去ろうとして
いる、と。
それを思えば「大人」「子供」の区別の概念の消滅など、
何ほどのことでもないかもしれません。