Memorandum
Memorandum
− メモランダム −
目次過去未来

2002年04月08日(月) 加藤紘一の「長いドラマ」終幕

加藤紘一自民党元幹事長が議員辞職。
総理・総裁候補と言われた派閥の領袖で、
こんなみっとものない末路を辿った人は過去にいないでしょう。
一昨年暮の「加藤の乱」失敗後も、「ドラマはまだ続く」と強がってみせましたが、
まさかこんな終幕を迎えるとは、本人ならずとも思いませんでした。

加藤紘一の挫折の始まりは、もちろん「加藤の乱」の失敗で
大宏池会の会長から滑り落ちた事ですが、
それ以前に、小渕内閣の蔵相就任の要請を断わったあたりから
総理・総裁を目指す人材としては、頼りない面が見られました。
丁度「金融国会」を控えて、蔵相なぞ引き受けて傷がつく事を恐れたのでしょうし、
あるいは代りに宮澤喜一を閣内に棚上げする事で、
派閥継承を有利に運びたかった思惑も絡んでいたかもしれません。
しかし難局を80近い老人に押し付けて日和った印象は拭えませんでした。

そして、「加藤の乱」。
当時、福田派と三木派が欠席した1980年の大平内閣不信任案の時と比較されましたが、
でも福田も三木も、自前の派閥で子分を率いていました。
一方、加藤は宏池会の何代目でしたっけ?
親分でもない加藤の言う事をきく奴はいないでしょうね。
時代を読み間違えたとしか言い様がありません。

辻元清美は市民派から永田町の住人になりましたが、
でも加藤紘一は「加藤の乱」以後、永田町から市民の中に
積極的に入っていく新しい面が見られました。
そういう点では惜しい政治家でしたが................やむをえません。


who |MAIL


My追加