Memorandum − メモランダム − 目次|過去|未来
美空ひばりは戦後復興の、そして松任谷由実は繁栄のシンボル、 と言うような意味の事を、かつて松任谷由実自身が言っていたのを何かで読んだ覚えがある。 自分自身の歴史的ポジションまでしっかり把握したこのユーミンの台詞は、まさに言い得て妙だろう。 1954年生まれだから今年で既に48歳、音楽シーンでは既に大御所的存在、などと言ったら、 もう過去の人みたいな言い方になってしまうが、 いつまでも時代の感性をユーミンが共有し続けている事ができるとは思えない。 松任谷由実が時代の感性を先取りして、最もそのシンボルであり得たのは1980年代だろう。 '70年代半ば、所謂「四畳半フォーク」と呼ばれた、 しみったれて貧乏たらしい音楽が主流だったくすんだ時代の色を、 ユーミン(当時は荒井由実)の登場はパステル・カラーに変えたと言われている。 今では死語になってしまったが、ユーミンから後はニュー・ミュージックと呼ばれ、 従来の邦楽からは差別化されている。 では具体的にユーミンはどう違ったのか、と言うと、松任谷由実自身が説明するところによると、 例えば渋谷の路地裏にあるあんみつ屋で外の雨を見ているという詞を書く場合、 ほかの人が書けば、そこに四畳半的なわびしさがうまれるかもしれないが、 自分なら、その場所がロンドンになるかもしれない、と言う。 渋谷の路地裏がロンドンになる、とは、 ユーミンにとって重要なのがイメージであって現実ではない、ということだろう。 だから別にその場所は、具体的な場所でなくても構わない。 つまり彼女は現実にある渋谷の路地裏からロンドンへと想像を膨らませたわけではない。 逆に、まず彼女の中にロンドンというイメージが先にあり、 それをたまたま現実にある場所にあてはめたに過ぎない。 だから、たとえそれが渋谷であろうとどこであろうと、 彼女にとっては同じようにしか見えないと言う事になるのである。 こうしたユーミンの発想法、作詞法は、 中央高速道路を「中央フリーウェイ」に転換させたことなどにもその一例を見ることができる。 「調布基地」「競馬場」等の現実にある具体的な名称が登場するにもかかわらず、 この歌には奇妙に現実感が欠落している。 当然であろう。現実にある調布基地や府中競馬場、そして中央高速が問題なのではないからだ。 渋谷の路地裏がロンドンに化けてしまったように、ユーミンはどこにもない架空のフリーウェイ、 つまりユーミンの心象風景を中央高速に重ね合わせたに過ぎないのである。 尤もおそらくその後この歌は全く違和感なく受容されている。 ユーミンをカー・ステレオでBGMに、中央高速ならぬ中央フリーウェイを疾走するという風景は いかにも80年代的であったことか。 この作品自体は'70年代のものだが、ユーミンが全く違和感無く一般化したのは、 '80年代に入ってからではないか。 とすれば、そうした風景はむしろユーミンが作り出したものであると同時に 時代がユーミンの世界に近づいて行ったということでもあるのだ。 だからここで注目したいのは、そのようなユーミンの想像力の方ではなくて、 その歌を受容する側の意識である。 確かに渋谷の路地裏がロンドンに見えるのはユーミンの優れた想像力の賜物である。 でもそれを聴く側にとっては、例えば地方都市の場末の喫茶店から見る外の雨の風景は どう間違ってもロンドンには見えはしない。 だがそのような擬似体験を可能にしているのは、ユーミンの歌にうたわれた世界が、 現実にはどこにもない、そしてある意味では無個性なイメージの世界だからである。 ユーミン、またはユーミンに限らず重要なのは、 そこで「自分の事が歌われている」という虚構が時代の共通感覚として成立することである。 当時、10代の少女からユーミンに自分の日記が送りつけられてきたというエピソードや、 或いは逆に、ユーミンが深夜のファミレスに出没して客の会話に耳を澄ませてネタの取材をしている、 などというまことしやかに語られた噂話は、ユーミンの世界の何たるかを象徴している。 例えば松任谷由実はかつて、九州出身の伊勢正三から「ユーミンが東京とか言ったって、八王子だものね」 と言われて、一緒にされてたまるか、という強い抵抗感を覚えたという。 その理由として彼女は、東京オリンピックによって東京がまざまざと変わって行く光景を 目の当たりに見たことをあげている。 ここで喉元まで出かかっているのは、九州の田舎者とは一緒にされたくない、と言う、 「三代続いた八王子の老舗の呉服店」とやらの「お嬢様」の矜持だろう。 だが、松任谷由実、いや、荒井由実が登場した1973年という時代を歴史的に振り返ってみるならば、 東京オリンピックより重要なのは、前年就任した田中角栄首相の提唱する列島改造ブームの方だろう。 以来、地方の都市化の波が確実に進み、それぞれの地方都市はその個性を球速に失ってしまった。 現在、JR駅及びその駅前の様子は、どの地方都市も殆ど同じ佇まいのように思える。 奇しくも80年代半ば、JRのイメージ・ソングとしてユーミンはシンデレラ・エクスプレスを歌ったが、 物理的にも東京はもはや遠いところではないし、 ましてイメージとしての東京は既に質的格差のない世界になっていたのだ。 '80年代、結局「みんなユーミンになってしまった」と言われる所以は、 ユーミンが「中産階級の欲望」の体現者であった事を意味しているようである。 (※むかし別の場所に書いたネタの再録です.使い廻しですみません)
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