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2002年04月20日(土) 「十八歳と三十四歳の肖像」

「若い頃にはやたらラディカルで進歩派気分、
でも年を取ったら退嬰的になり保守的気分になるのが、所詮人間の精神的生理であろう」

......という意味の、三島由紀夫のエッセイを大昔(十代の頃)に読んだ気がしたのですが、
でも今、本棚の奥深くから漸く見つけて確認したら、やや趣旨が違っていました。
三島が言っていたのは、人間一般的な事柄についてではなくて、
「小説家」という特異な存在における精神的発展の問題についてでした。
(「十八歳と三十四歳の肖像」、新潮文庫『アポロの杯』所収)

しかし、私が勘違いして記憶していた事も、あながち間違いとは言えません。
これは、自分自身が三十代も半ばを過ぎ、所謂中年に近づく年齢になって、初めて思う事でしょう。
チャーチルの言葉に、
「若い時代にマルクス主義にかぶれない奴はバカだが、
しかしいつまでもそれにかぶれている奴は、もっと愚かだ」という意味
(正確には、忘れました)があったと思います。
もっとも、私が十代から二十代前半だった1980年代には、
マルクス主義なぞというものはとうに廃れていました。
外にあっては、ソ連というしょーもない社会帝国主義国家、
内にあっては、新左翼と言いながら既に全然新しくもない左翼の敗退と頽廃によって、
60〜70年代に青春を送った世代のような素朴な理想主義は全く持てませんでした。
むしろ「朝日新聞」や「岩波文化」的な進歩派のいかがわしさには、多いに疑問を感じざるを得ませんでした。
ただ、若いが故に、精神的には何となく「理念的」であり、かつ「左派」気分があって、
しかもそれはいまだに続いてはいるのですが、
しかし一方では現実的にも物事を解釈している部分も大きく、これはやはり生理的な問題…「老い」なのか、、、、
と言う気もしないでもありません。

だから最近の若者が、我々の世代が疑問符を持っていた事に対しては、
より明快に現実的に突きぬけている事は、大変喜ばしくも頼もしく思う一方、
でもまだ若いのに、瑞々しい感性のうちに、果たしてそんなに物わかりがよくていいの?
と言う気もしないでもなく、いささか危惧も感じないでもないのです。

…というのも所詮、老いの繰り言(笑)か。
嗚呼、年は取りたくないですね(笑)
(って、それが結論かよ)


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