普遍的な言説に対しては、そこで「何」が語られているのかではなく、
「誰」が語っているのかを読み取る事が重要である、とニーチェは言っている。
例えば昨夜のTBS「ニュース23」の筑紫哲也の「多事争論」は一見
あたかも普遍的で中立な立場からジャーナリズム一般を論じているかのような
装いをもって語られていた。
だが実は筑紫は「週刊金曜日」の編集委員であり、その「金曜日」の正体は
札付きの左翼雑誌である。
従って週金=筑紫が金正日の走狗であり確信犯である事は歴然としているのである。
「国の方針に水を差すようなことは取材すべきでないと、こういう議論にな
ると、自由な報道や言論というのは死んでしまって、北朝鮮と何ら変わりのない国に
私たちはなってしまいます。私はこの国が北朝鮮のようになってしまうのは
決してよいこととは思いません。」
などと筑紫は澄ました顔で平然と述べている.。
しかし、言論の自由やジャーナリズム客観性の美名の欺瞞の蔭に隠れて
醜悪な党派的プロパガンダを行って恥じない筑紫哲也よ、
あなたこそ「北朝鮮」そのものなのである。