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ラヂオスターの悲劇
トマーシ
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2003年05月10日(土)
日曜日には。   Come Sunday

 まず訂正。

 今日は何と土曜日だった。

 日記に手を付けるところまでははっきりしてた僕の頭。

 でも日記の題を素で日曜日としてしまった。

 直すのは簡単だけど。

 でも土曜日と言えば、サタディ ナイト フィーバー。

 そんな気分は毛頭ない。

 そんな日でもなかった。

 だいたいこの日はガル・コスタ カエターノ・ヴェローソのサンディから始まった。

 気分をアップする気など全くないのだ。

 レコードの棚の整頓

 雑誌の処分

 洗濯物の取り入れ(干したのはあべこべに昨日の夕方。)

 一週間分の買出し。

 松屋で牛丼を弁当で買う。

 DVDプレイヤーを当てる為にはあと二回食べなければいけない。

 十五日が締め切りだ。

 帰りにブックオフに寄るがめぼしいものは見つからない。

 ここには以前、「夜の果ての旅」が上巻だけ置いてあったこともある。

 買っとけば良かった。買わなかったのだ。

 多分神田の古本屋でセットで2000円は下らない代物だ。

 それが200円。本当に買っときゃよかった。

 ハーディの「帰郷」もここで買った。

 ちょい前に覗いたとき置いてあったブコウスキーの「くそったれ少年時代」(ハ

 ードカバー)も既に無い。

 油断も隙もありゃしない。

 「夜の果ての旅」はブコウスキーの絶賛していた本だ。

 著者の名前は忘れた。一度図書館で借りたが、まるっきり手を付けずに返した。

 チラリとみやるだけで、尋常でない本であることが確信できた本だったが、

 全く本の読めない時期だったのだ。

 本も読まずに弁当ばかり配達していた。

 配達してなければ、油っぽい自分の顔をしかめて、時間を潰しているという有り

 様。

 本当に勿体無いことだ。

 後悔ではないのだけれど。

 本は生き物と同じだ。

 あるいは生き物に対するのと本に対するのは一緒だ。

 我々は対等でなければ、理解し合うことが出来ない。

 本は今も読めない。

 読んでもない本が積みまくられている。

 それらの本の印象はそれらを選んだ時の印象しか含まない。

 我々はまだ対等では無いのだ。
 
 帰る途中、松屋で三日分のサラダを買わなかったことを思い出した。

 まぁ。いいや。

 日記を書いてしまえば何をすれば良いのかわからなくなるだろう。

 今日はずっとジャズレコードを聴いていた。

 二十枚くらい。

 それくらいの家事をしたわけだ。

 これでは気分が泡立つはずがない。

 朝食べた卵焼きがゆっくりとおなかを温めているような

 そんな日だった。

 まあいい。

 明日は本当の日曜日で、昨日と変わらず、僕は失業者。

 多分意識的に僕は明日の為の家事を取っておいた。

 やることはたっぷりある。

 Come Sundayって、デューク・エリントンのスタンダードの名前。

 夕方くらいに聴くと、結構グッとくるものがあるね。