ヨシナシゴト

2001年07月24日(火) 遊び

 皆さん遊んでいらっしゃいますか? 私は遊んでいます。夏休みともなるとそれはもう遊びが私を形作るとでも言いましょうかそんな感じで駄目人間です。でも、人生最後の学生としての夏休みでして少々今までと趣が違っている部分があります。

 何やら焦っているのです。

 昔の偉い人は我に七難八苦を与えよと偉い事を言っていた様なのですが私は当然のことながら偉くないのでそんな物は無いに越した事はないと思っておりまして遊びたいのです。まあ偉い人は偉い事を言ったから偉くなったのであって偉い人だからそういうことを言うというわけではありませんがそれでもそういう事を全く思わない私が偉くなる見込みが無い事がわかったのですがあまり世の中に影響はなさそうです。元々そんな見込みありません。
 さて、遊びたいから正直に遊んでいる今日この頃なのですが、ゲームセンターに二時間も居ると一年前の私には無かった謎の機関が動き出しまして私を焦らせるのです。「来年から社会人になろうっていう奴がそんなんで良いの?」と。今まで夏休みと言いますと遊ぶものだと思っておりまして何の疑いも無く遊び呆けていたわけでその結果今の私がいるというのは火を見るよりも明らかでして良い子は真似をしてはいけませんが、正直、この焦りが何を原因としてくるものなのかはっきりとわからないのです。
 あと半年なんだからもっと遊べよ、という意味なのか、それともあと半年なんだから覚悟を決めて社会人になるべく生きよ、という意味なのか。おそらく両方なのだと思いますがその辺りを考えているうちに夜が更けて一晩眠るとすっかり元に戻っている様な今日この頃なのです。
 人は一生をかけても遊びきれるものではなく、また、どれだけ準備をしたとしても最高の社会人になんてなれるはずはありません。ですから、これらの物事には終わりは無く、おそらくはこう考えているうちに来年の四月一日が来て、シューティングゲームの強制スクロールの如く次の面へと進み、変わりに私に暇が無くなりこの問いの意味が永遠に失われるのだろうと思います。
 そして、それこそが人間の生き様でありそもそもこのような問いはナンセンス極まりなく、哲学者以外の人間はそんな事を考える暇など与えられてはいないのです。私に例えますとそんな暇があったら遊ぶか、社会人になる準備でもしていろということになるわけでして思考からして堂堂巡りに一名様ごあんなーいとなるわけです。

 深く考えるだけ損という意見が最も的を得ていて、かつ最も素晴らしい生き方なのかもしれませんね。ただ、私がそう生きられないだけで。器用になりたいものです。そして、この問いを大学一年か二年の時に知っていればまた多少は違った見方ができたのかな、とも思います。仮定の話なんてしても仕方がないのですけれどもね。

 と、まあ偉そうな事を言う前に教習所行けよな自分はいごもっともです申し訳ありません私が駄目なだけでして結局これが真理なんですかね? たぶんそうでしょうそうに違いないそう決めました。


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