「わたしの言葉は酷く感覚的で人を傷付けるから」

題名はレベッカの歌詞なんです。

最初の頃に書いてた日記を編集してました。
自分で言うのもナンですが猛烈につっぱしった軌跡が痛い系。凄く頑張ってた頃の自分にこんな事言うのはどうも平和ボケしてるのか根性が腐ってきてるのかどうなのか。
このロックな生き様を見ろとばかりに過去のわたしが熱く語っている。文章全てに感嘆符を打ちつけたかった。そして全ての文章の後に付け加えたかった。

もうやってられねえっす。

でも本当に呟いてしまったら其処で全てが終りのような気がして、あの頃はそのまま武士道を窮めてゆくしかなかった。

詩ーを書く人種であるからには言葉には気をつけねばならなかった。
でもわたし、基本的に鋭利みたいなんです。言葉が。
頭より先にこころで書くから(はーと)
そんな頃によく「難しい漢字を知ってますね」とかゆわれ、漢字検定のまこっちゃんとして名高いわたしだったのですが、氣志團をこのあいだまで正々堂々と「きしけん」と呼んでいたのはやっぱり内緒にしときます。

そういえばネットでも男に言われた事がありましたっけ。「言葉が剛速球だよね」
わたしはすぐさま、受け取るおまえの度量の問題だろうと考えました。
言葉の上っ面だけで美しい理想を象りながら、中身はなんてステキにグロテスク。
そういうおまえよりましではないかしらと思っています。今でも。
人格の一角しか垣間見せる事がないこのネットで。

何に拘っていたのか。その中に何を見いだしていたのか。
何が大切だと思いこんでいただろう。何が本当に大切だっただろう。
此処に有るわたしの一角。再融合を見極めるなら何れはこう考えると知っていた。
わたしが「わたしである」と決めるのはわたしでしかないんだ。

もうやってられねえっす。


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