honey-cの日記...honey-c

 

 

続き - 2005年08月02日(火)

幸い痲酔の副作用も何もなく、至って元気だった私は手術したその日の夜から車いすにのり、
子供達に会いにいきました。
術後は安静に、なんていう言葉も頭の隅にはあったんですが、なんせ子供と会いたい一心で、
毎日車いすで病院の中を走り回っておりました。

3日後から母子同室になり、そこから24時間エンドレスに続く、
3時間おきの2人分の授乳と世話で睡眠も取れ無いどころかじっとしている事もできずに、
無理してました。
6日間の入院中、高熱が出だしてちょっとやばいかな〜とは思ってたけど、
そうはいっても授乳を休むわけにはいかず、
念のためともらった抗生物質をのみながら退院。
そして家での初めての子育てがはじまりました。

子供達は小さく産まれてきたので、体重を増やすことに専念するように言われ、
ビジター禁止令も出されたので、ひたすら家にこもって
3時間おきの授乳を頑張ってたんですが、私の体調がだんだん悪くなっていきました。

退院してから一度も下がらない熱に加えて、帝王切開の傷口がどんどん腫れてきたので、
退院1週間後に近くのエマージェンシーへ。

そこで傷口を見た先生は「あ〜、化膿してるよこれ」といって、
点滴で抗生物質をうったあと、なんとお腹の傷口をメスで切り、
中に注射器を突っ込んで膿を吸い出したんです。
陣痛並みに痛い処置だったのでぼろぼろ泣いてしまうと、
今度は麻酔を打ってくれたんですが、注射器じゃ間に合わないといって、
先生が私のお腹の上に体重を掛けて乗ると、傷口から噴水のように膿が出てきてびっくり。
「多分、これでもう大丈夫だと思うけど、念のため点滴に通ってね」といわれ、
それから毎日抗生物質の点滴に通ってたんです。なのに!!!!!!!!!

傷口の痛みはどんどん酷くなり、4日後には傷口からまた膿が出てきたので、
今度は出産した病院のエマージェンシーへ駆け込みました。
そこでは帝王切開時に立ち会っていた先生がたまたま夜勤でいてて、
その他の先生と3人がかりで、また痲酔をして前よりも大がかりにお腹を切り、
膿を出しました。
これ以上化膿が進まないようにと、そのまま強制的に入院させられ、今に至ります。

24時間点滴がはずれず、お腹の傷もぱっくり開いたままで、
その傷を毎日1時間ほど掛かって処置してくれます。
出産時と同じ病棟に入院したので、看護婦さん達が私の名前を見つけてびっくりして
「あんた〜なんで帰ってきたの〜」なんてぞろぞろ挨拶しに来てくれます。
「私も帰って来たくなかったわよ!」と笑って言い返してるけど、
退院した2週間後に同じ病院にまた入院なんて誰もしたくないわ!と密かに泣いてます(トホホ)

出戻りの私をかわいそうに思ったのかどうかはわからへんけど、
ものすごく広い一人部屋を提供してくれたので、案外快適な入院生活を過ごしてます。
周りは出産した人ばかりで、各部屋からはかわいい赤ちゃんの泣き声が聞こえてくると、
「あ〜うちのベイビーズはどうしてるのかな?」と猛烈に寂しくなるのですが、
私が元気にならないことには子供の面倒も見れないもんねぇ。
今は耐える時や!と、自分に言い聞かせております。

子供の面倒もみれない自分に情けなくなったり、
周りの人に迷惑を掛けないといけない現状に申し訳なかったりの毎日。
これもいつかは「あん時はしんどかったわ〜」と笑える日が来るんかなぁ。

初期の酷いつわりに始まり、切迫早産での入院、そのあとの長い自宅での安静生活、
そして出産後の入院と、ほんとに子供達が産まれるまで、いや産まれてからもいろいろありました。
でも旦那が言うんです。

「いろいろ辛いことはあるけど、あんなにもかわいい子が2人も
産まれてきてくれただけで、全部帳消しになるやろう?」

私もほんとにそう思います。守るものが出来ると人間、強くなるんですねぇ。





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