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氷砂糖

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ある日の光景・2
2001年10月12日(金)

たまに、電車で、小さい子と若い母親を見る。まだ赤ちゃんぽい、幼稚園には行ってないかな、くらいの年齢の子供は、長時間電車に乗るのが退屈なのか、不満なのか、よく泣く。声も大きい。わたしは子供が苦手だけれど、あまり嫌な顔をするのも、若い、申し訳なさそうな母親が可哀想かな、と思うので、できるだけ気にしないようにしている。が、時々、母子の近くで、話し掛けたり、笑いかけたりしている女性がいることにきづく。

おそらく子供を産み、育てたことのあるひとなのだろう、慈愛に満ちた微笑を浮かべ、いくつ?とか、どうしたの?等、優しい声と言葉で話し掛けている。子供が必ずしも泣きやむわけではないけれど、話し掛けられた母親は、大体ほっとした表情を浮かべる。わたしはその光景を見るたびに、ああ、ああいうおばさん(あるいはおばあさん)は素敵だな、と思う。

子供のいる生活には、大変さもあるだろう。子供のいない生活にも、よさはあるだろう。子供とうまくいくひともいればいかないひともいて、子供を産み育てる経験が、あまり向かないひともこの世にはいるだろう。わたしの母も、あまり母性的なタイプではなかった。でも、ああいった、何気なく声をかけたり、微笑みかけたりできるひとたちは、きっと子供を産み育てることで、ゆたかにしなやかに、やさしさを身に付けたのだろうと思うのだ。

わたしは、もう気力・体力が衰えているし、こどもを生んだり育てたりは、多分しない(あるいはできない)だろうと思う。だから、ああいうひとたちにはなれないし、なろうとも思っていない。でも、ああいうひとたちがこの世にいる、というのはいいな、と思う。場が和み、心があたたまるような気がするから。



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