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幸せだろうか不幸だろうか
だいたいこのあたりの日付の、TVで聞いたのだと思う。痴呆になった妻が、病気で夫が死んだことを理解できず、1ヶ月くらい食事の支度をしつづけていた、というニュース。最初聞いたとき、ああ、そうか、そういうこともあるよなぁ..と思った。想像したらとても悲しくなったのだが、どうだろう。彼女は、最愛の夫の死がわからず、幸せだったのだろうか、不幸だったのだろうか。それは当人にもよくわからないことかもしれないが..。
考えてみた。わたしが先に死んで、痴呆した夫はそれを知ることなく、えんえんと食事の支度をしてくれる場面を。考えたとたん、頭がずきずきと痛くなった。彼は幸せだろうか、不幸だろうか? でも、それ以前にわたしは彼に、できれば痴呆せず、死を理解して欲しいような気がする。しばらく悲しんでも、時間が流れたら立ち直り、ゆたかに残り時間を過ごして欲しいと思う。人間、いつ死ぬかはわからないし、長く生きて痴呆するとも、若くして痴呆するとも、痴呆せず早死にするとも長生きするとも、先はわからないのだけれど。
わたしが痴呆した場合..想像し辛い。なんというか、自分が毎日食事を作ったりしてる、というのも考えにくい。でも、夫が死んだことには気づいてしまうのでは..と思う。話し掛けても返事がなかったり、動かなかったりするのだから。というより、やはりわたしも知りたいのだ。たとえ悲しむとしても、死んだとわからないよりは。それが幸か不幸かはわからないけれど、わたしは知りたいのだと思う。しかしこんなことをえんえんと考えていたら、とても悲しくなってきた。ばかはあんまりものを考えちゃいけない、という話になってしまいそうだー
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