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うーむこっちに書くのは久しぶりだ。深刻な状況であーぱーな文をupするのもどうかと思い一段落するのを待っていたら八重桜の季節になってしまった(思いついたときupすればよ間に合ったのかな?)。 さて本題。卒業式などでも歌われているらしい、もりやまなおたろうさん(すみません漢字がわからない)が歌っているのほうではなく、もうひとつの桜の歌。普通の表情ならかっこいいのかもしれないけれど、どことなく辛気臭い表情のかたに歌われている歌(申し訳ないのですが彼の名前を覚えていないのです)。 この歌の一部を書店やコンビニで聞くたびに、わたしは首を傾げていました。それは「ぼくが そばにいるよ 君を 笑わせるから」という部分。わたし、好きなひとがそばにいてくれるのは嬉しいけど、何も笑わせてもらう必要はないんだけどなー、とそのたびに複雑な気分になりました。 もちろん、泣いたり怒ったりするよりは、笑ってるほうがからだにもよさそうだとは思いますが(でも泣いたり怒ったりもときには大事だと思う)、笑顔は自然に生まれればいいわけで、無理やり作るのは疲れそうだと思うんですよねぇ。相手が笑わそう、としてると、つまらない冗談でも頑張って笑わなきゃいけない気分になるし、大体わたしぼけられてもつっこめないし、切り返しもうまくないし……。 もやもやした気持ちを夫に話してみると、彼は 「あのさぁ。笑わす、って何も冗談いうだけじゃないのでは? 君だってにこにこしてるときはあるよ」 「!……ああ。言われてみればそっか」 確かに綺麗な景色を見たり何か誉められたり頭を撫でてもらったり思いがけないプレゼントをもらったり遠くへ連れて行かれたり凝ったデートをしたり……ありますね。笑わす方法、冗談以外にも沢山。TVのお笑いとかの印象が強いから、ひとつしか思い浮かばなかったのかなぁ。視界狭いというか、発想の貧困な頭だー。 しかしあらためてあのプロモをみても、やはりこういう悲しげな表情の人に笑わされるのはちょっとなぁ……という気がしたり。 * * * ここから先は余談。長いしまとまってないので、お暇で心の広いかただけどうぞ。 わたしは時事問題について、あまり語る資格はないです。世界史の勉強をしていないし、社会科は苦手だったから。背景となっている歴史や、それらが絡み合って今になっている世界情勢についてかなり無知だから。ただ単純に、感情レベルで、命は絶たれたら二度と戻ってはこないものだから、生きててよかったねぇ位しか思いつかない。 なのでWEB上の議論(といってもわたしが巡回するサイトってそんなに多くないんですが)とかはすごく不思議な感じがしました。でも、そのなかでいいなぁ、やっぱりこのひと(の文)好きだなぁ、と思った一文。「保険や投資とかが自己責任なのはいいけれど、ふつうの人同士が、互いに「自己責任」と言い合う社会は、とても住みにくそう。「困ったときはお互い様」という社会の方が、私には住みやすく感じられる」という内容(解釈取り違ってたら申し訳ないし、ここだけひかれるのは不本意かもしれないし、リンクしていいかもわからなかったので、まずかったら消します)。わたしもそう思うのです。
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