stray notes

氷砂糖

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7回忌
2004年05月02日(日)

この日は、今も多くの人に愛されている、あるアーティストの命日でした。あれから6年も経ったのかーと思うと、かなり不思議な感じがします。そこだけ、時間が止まってしまったかのように距離を感じない記憶。昨日のことのように、とは少し違うのだけれども……多分、今だに現実感が弱いのかもしれない。

WEB上にアップされていた、彼について書かれた沢山の想いを読みました。リアルタイムの彼をほとんど知らない、中高生の方もけっこういました。当時の彼を知る、わたしと同世代のかたもいました。いろんなひとが、彼のことを考え、歌を聞いたり歌ったり、献花に行ったり祈ったりしていました。読みながら、最近浮かんできたいくつかの疑問を思い出していました。

少し前。こことは別のレンタル日記で、当時中学生、今は高校生の女の子と知り合いになりました。彼のことを熱く語っている文に惹かれ、よく読みにいくよいうになりました。彼女がCDを聞いたり、DVDを見たり、ライブに行ったり、ミュージアムに行ったりした文を、ああ、そういえばこんな感じだったなーとか、なるほど、そんな感じなんだ、と微笑ましく思いながら読んでいました。

ただ、ときどき。何の意味ももたないような疑問が浮かんだのです。無理やり言葉にすれば、”あらかじめ実体が失われていることと、はじめあったものが消えてしまうことは、どちらがつらいのだろう?”というような……比べることはできないことのように思うのですが。

また、もうひとつ。はじめにもういないとわかっていたら、あれほどまでにわたしは彼を追いかけられたろうか? という疑問。これも答えは出ないのだけれども……。根は、同じ人間なので、きっと好きにはなると思う。でも、あれだけのエネルギーや思いや時間やお金を費やせたかはわからない気がする。物事にはタイミングがあって、そのときの気持ちや体力や気力や財力や……いろんな要素が組み合わさって行動を決定するのだろうから(たとえば高齢であったら、ロックは体につらいかもしれないし、あまりに幼かったら、ライブに行ったりできないだろうし)。

唯一確かなのは、あの時期彼に出会えたこと。彼を追いかけることができたこと。その歌を聞き、演奏を見、すすめる音楽に触れられたこと。すべてが、とてもありがたくしあわせなことだった。今でも思う。一連のことがすべて悪い冗談で、おおがかりなトリックだったとしても。泣きながら、笑って彼を許してしまうだろうと。本当にそうだったらどんなによいだろうと。

あの日から何度も何度も思ったことを、この日はあらためて考えてしまうのです。



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