stray notes

氷砂糖

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失礼ですがどちらさまで/生きるため生きる
2004年06月17日(木)

少し前の話。信号待ちをしていて、あ・青になったから渡ろう、としたとき。向かい側から歩いてきた女性に「こんにちはー」と挨拶された。(え? 何? わたし?)慌ててあたりを見回すがわたしのほかにひとはいない。反射的なお辞儀だけでもしておけばよかったのかもしれないが、あまりに面食らったので(誰?)という顔で止まってしまった。彼女はわたしの反応を気にした様子もなく行ってしまったが、えーと。失礼ですが、どちらさまだったのでしょう……。

以前から読んでくださっているかたはご存知の通り、わたしは人の顔や名前を覚えるのが大変苦手です。しかも忘れるスピードはかなり早いです。でもあんなに親しげに挨拶してくださるってことは何かかかわりがあったのかもしれないし、非常に落ち着かない気分になりました。仕事関係ならすこしは記憶に残ってるはずなのですが……うーん。同じアパートのひとかなぁ……。通路で擦れ違ったら挨拶したりはしてるけど、それは単にそこにいるからであって、顔を認識してるからではけしてないしなぁ。

* * *

最近、「いっぱいいっぱい」という言葉に妙な親近感がある。あってどうする、という気もするのだが、身も心もぎりぎりで動いてる感じがある。昔「人は目的のために生きるのであって生きることを目的にしてはいけない」という文を見るか聞くかしたことがある。そのときわたしは「ただ生きてくだけでも、けっこう大変な世の中なんだし、生きること自体を目的にしてもかまわないんじゃないのー?」と思った。今も思う。

17日に○○が出るなぁ、18日は××だなぁ。25日も楽しみだし、月末には雑誌が、7月10日は待っていた文庫が出る。以前は発売日などさほど気にせず、書店で新刊の棚にあれば買う、という趣味の本の予定が、今回は異様にくっきりと頭に入っている。あー、きっと切羽詰ってるんだろうなーと自分に思う。何かお楽しみを用意しておかないと、ぽきんと折れてしまいそうな予感があるのだろう。

学校はほとんど皆勤していたし、どの職場でもあまり休まなかったのは、真面目だからというのも多少はあるが、本当は根が怠け者なので、一日でも休んだらずるずるとドロップアウトしていきそうだったからだ。とにかく今は何か深く考えるよりも、とりあえず生きていくことをこころがけようと思う。



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