ひとりごと日記
昔からひとりごとの声がデカすぎると周りに迷惑掛けてます。

2002年04月15日(月) 墓参り

季節外れの墓参りに実家のあった関西へ戻ってました。
久しぶりに聞く土地の訛り。

うちの墓は今も木の墓標を使っている。
オヤジ、ばあちゃん、じいちゃん、おばさん。
4本の木が立っている。さすがに石の墓標ばかりの昨今、いくら田舎とは言え、木は目立つ。
時代劇に出てくるような感じ。
かなりの山間、盆地の田舎の山すそを切り開いて作られた墓地にはよく似合うと私は思っているし、なによりばあばが石はイヤ!という信念の持ち主で頑固なので、いつまでも木だ。自分が亡くなっても木にして欲しいと常々言っているくらい。
手入れが大変なんだけど‥

墓参りの後はお寺にご挨拶。
ここのご老祖さんは、京都の大覚寺の管主を勤め上げた方。あの役者の杉良太郎氏もこのご老祖さんの人柄に惚れて、神戸へ里帰りしたときには檀家でもないのに、必ず足を運ぶという。
また、大覚寺管主時代は、現在の天皇陛下さえも魅了してしまうほど、とっても気さくで面白い方だ。
小さい頃からお世話になっているし、このお寺の娘さんは保育園の頃から幼馴染の同級生という事もあり私もなんだか、このお寺に来るとほっとする。
昔から遊び場のひとつだったし、中学の頃は友達とよく、ここの本堂裏に自転車にギター積んできては、練習させてもらっていた。
松山千春の歌なんかを二人でよくコピーしていたっけ。(笑)あっそうそう。小学生の頃は幼馴染の所に遊びに来ては、悪ガキたちと、
本堂の縁の下にモグってた。
理由?。
ここの本堂の縁の下には驚くほどたくさんの寛永通宝や江戸時代のお金が落ちていたから。子どもの頃の宝物だった。
一説には私たちに拾わせるために、撒いていたという説もあった。
最初に見つけた時に「こんなの拾ったよ」って報告に行った友達に、「そうかそうかよく見つけたなぁ。持って行っていいよ」と笑っていた。
今もここで拾った寛永通宝、何枚か貯金箱に大事に持ってる(^^)。暴露!。

しかし、今年98歳のご老祖さま、顔にはシミひとつなく、色艶もよく健康そのもので冗談も相変わらずポンポン飛び出す。
ご本人は、「最近は声も出にくいし、耳も遠くなった」とおっしゃっていたが、なんのなんの。2時間近くもしっかりお話していただきました(^^;)。
出来ればいつまでもこのまま元気で居て欲しいです。

生まれた町が旅先になってしまった今このお寺が家みたいな気持ちです。

そう‥。
友達はたくさん今もこの町に居る。小学校も中学校もある。
ご近所の様子も変わらないけど、売ってしまった家はもうそこにはなく、駐車場になっている。チャンバラごっこ、秘密基地なんかを作った山もあり、あまごやザリガニを取った川も流れているのに‥

いつかはここに帰ってくる。そんな事を疑いもせずに列車に乗った18の春。
たまに思う。ここにいた頃、将来はどんな自分を思い描いていたのだろうかと。
そして、今、自分は少しでもあのころ描いた場所に立てているのだろうか、なれたのだろうかと‥。








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