umityanの日記 DiaryINDEX|past|will
生きていて一番うれしいことは、「自分が人に愛されているのだ」という自覚がもてたときではないだろうか。どんなにお金があっても、愛されていなければ、心は満たされない。「愛は金で買うさ」という人がいるかも知れない。うんんん、確かにそれも不可能ではないだろう。人間の心って、欲には負けることが多いからだ。ただ、金で買う愛はやはり、打算的であり、金の切れ目が縁の切れ目になることは間違いない。そこには本当の愛は芽生えにくい。人は口では何やかんやと言いながら、いつも、やさしい、打算のない愛に飢えているように思える。昔、奪う愛やら、捧げる愛とかについて、勉強したことがあった。愛は奪おうとするから苦しいし、捧げる愛なら苦しくないとか、本で読んだ。捧げる愛こそ本当の愛?。そうなんだろうか?。捧げる愛なんて、まず、できっこない。若いころは、そこまで、精神が昇華されていないからだ。愛はいつも奪おうとする。奪って奪いつくそうとする。そして傷つき、それでもまだ奪おうとする。よく考えてみれば残酷である。ただ、齢をとってくると、昔のあの激しい奪う愛が嘘だったみたいに、捧げる愛に転換してくるような錯覚を覚える。いや、これは錯覚ではないのかもしれない。「もう、おまえはずいぶんと齢を重ねたから、捧げる愛の男に転換したのか」と誰かが問うた。僕はすかさず、二本指を相手にかざし、左右に振りながら、「つつつつつつ」と口ずさむだろう。もちろんこれは「ノー」のサインである。「まだまだ、僕だって現役のばりばりだぞ」と言えば、僕を知る人はおそらく大笑いするかもしれない。「あんたって若いねーーー」と。
|