umityanの日記
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2002年01月09日(水) ワンちゃん一匹、ニャンちゃん二匹。

我が家には、ワンちゃん一匹と、ニャンちゃん二匹がいる。犬の名前はエル。猫の名前はまだ付けていない。いつの間にかいついた、居候だから付けていない。周りの者は、あえて、「シロ」とか「シャム」とか呼んでいる。毛色がそうだからである。僕は本来、猫よりも犬が好きである。あるときは訴えるように、小さなおめめで、僕を見つめ、またあるときは心配そうな目で、僕を気使ってくれるのは、まさに愛犬「エル」。顔をさしだすと、生暖かい舌で、「ぺろっつ」とご挨拶だ。もう10年以上、生きているから、僕よりずっと先輩の「ばあや」みたいな存在。まだ、ばあやが若いころは、二人して近くの土手までよく散歩に行ったものだ。土手で首輪をはずすと、一目散にどこかへ駆けていく。よほど、嬉しいのだろう。目が輝いている。僕は流れ行く雲をのんびりと眺め、今はすっかり忘れてしまった、タバコをふかしながら、エルの後を追う。程よいころ、口笛や、名前を呼ぶと、懸命に駆けてくる。このいつわざる、愛情にはただただ、心をゆさぶられる。反面、猫族ときたら、食事が欲しいときだけ、「猫なで声」を出しながら、擦り寄ってくる。食事以外の時は、贅沢な場所で、「ごろね」である。労働の喜びを少しは知ってほしいと言いたくなる。昔はあんなに、「ねずみ」を捕まえたじゃないか。あっつ、そうか。今はねずみもいないか。ピチピチのかわい子ちゃんなら、まだ許せても、猫なで声だけは「ぞーーーっつ」として、身の毛がよだつ。あまりにうるさいから、一度、怒ったことがあった。それ以来、僕を遠巻きにして、ほとんど、接近しなくなった。僕にとっては幸いである。多分、猫族とは、信頼関係を取り戻すことはできないだろう。世の中には猫好きな人もたくさんいると思うので、これ以上、猫のことを悪く書くのは止めよう。ただ、心無い人たちが、公園やら、あちこちに、彼らを放置するので、周りが迷惑してしまう。彼らも生を受けた以上、生きる権利はあり、腹も空く。できれば、心ある人たちに、飼われて幸せな生を全うしてもらいたい。
最近、生物種の絶滅が増えているそうである。犬・猫たちはその心配はないだろうが、ちょっと気になった。
「エルばあや」よ、そろそろ、出かけますぞよ。ばあやの目は「早いお帰りを」と言っているようだ。心配しないで、帰りは早いから・・・・・・・・。


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