umityanの日記
DiaryINDEX|past|will
| 2002年06月11日(火) |
田植えで一句浮かびました。 |
田植えで一句浮かびました。 at 2002 06/11 22:40 編集
田植えの時期って好きだ。どうしてなんだろうかと考えてみた。その答えは水だった。ほんの少し前までは麦や、たまねぎの畑だったのに、あっという間にクリークから水がひかれ、畑は田んぼに早変わり。遠くから見ると、広い広いプールだ。真っ青の空や雲が田んぼの水に映えてキラキラと輝く。時折、鳥が低滑空して、水をたたく。まさに田んぼは母なる大地であり、水がしっかりと大地を潤し、生の糧を育ててくれるわけだ。車で田んぼを貫く道を走った。田植え機に苗が積み込まれ、たった一人の人間の作業でグリーンのじゅうたんが出来上がっていく。いやああ、お見事。便利になったものだ。昔は、長いひもを引っ張って、いっせいに並んで自分の受け持ち領域に「イチ・ニイ・の・サン」と植えていたらしい。今はこの光景にお目にかかることはない。ちなみに、生徒たちの体験学習ということで、昔風にひもを引っ張って、田植えを実施している小学校があった。テレビでみたが、田んぼが珍しいのか、泥んこになってはしゃいでいる姿が印象的だった。なんでも、収穫した米は難民の方たちや、被災地域に送られるそうだ。やはり、こういった社会とのつながりをもった教育が子供達をすくすく育てるような気がする。先生だけによる教育ではなくて、教室を飛び出して、社会人をどんどん取り込んだ教育を、もっともっとすべきだと思う。 話があらぬ方向に行ってしまった。ばあやに聞いたのだが、昔の田植えは、近所や親戚や仲間が手伝っていっせいに行ったので、青年達にとっては嫁を探す良い機会だったそうだ。ふと、「麦畑」という歌の、松つあんと、およねさんを思い出した。メロディーもさることながら、この歌の詩がとても好きである。松つあんと、およねさんは日本の理想的夫婦像のような気がする。形もスタイルもどんどんスマートに変わっていくにせよ、松つあんと、およねさんの心というか、気持ちは未来永劫、変わってほしくないと思う。 「差し出した、苗の横には、君の手が」。 一句浮かびました。字あまらず。
|