umityanの日記
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七夕に寄せて at 2002 07/06 11:34 編集
いよいよ今日は七夕の前夜祭。雨交じりで、空模様は、どうもはかばしくないようだ。この歳になると、とりとめて七夕が、どうこうのと言うこともないが、七夕にあやかって、宇宙の神秘を思う時、何故か敬虔な気持ちになる。「僕はどうして今、ここにいるのだろう?」、「何故、地球だけにしか生命体はいないのか?」、「宇宙はどうやって始まり、どこへ向かっているのか?終わりはあるのか?」、「何故、星星はあんなに遠くにあるのか?」。真面目な気持ちでよく考えた。考えてもきりがないことは分かっている。それでも、キラキラ瞬く夜空の星星を眺めたとき、「何をかおもわざらんや」、である。小さい頃、「今、眺めている星が、何億光年も昔の星の姿である」と聞かされたとき、「えええっつ?」と、不思議に思え、その理由が分からなかった。物の道理が分かるようになった頃、小林一茶の作品だったか、定かではないが、「名月を取ってくれろと泣く子かな」という俳句を知ったとき、「あはっははああ」と、他人事のように笑ってしまったが、僕も子供の頃は同じ穴のむじな。光は一秒間に30万キロ進む。やっと星の光が地球に届いて、我々はそれを眺める。その時はすでに、膨大な時間が流れ、見える星の姿は昔、昔の過去のもの。星星がいかに遠くにあるかということを物語っている。そのことを深く考えずに、我々は、「今、見ている星が、今の姿であり、今の現実だ」としてしか見ない。まあ、これも仕方のないことだろう。 七夕祭が星祭や民間信仰と混ざり合い、今日まで脈々と続いていることは嬉しい。我々人間に刹那の夢や希望を与えてくれている。これも神秘なる宇宙に対する人間の畏敬の念のあらわれである。時代が緩やかに進展していたころ、僕も竹ざおに、ちょうちんと短冊をつるし、願いを込めて、街中をうねりあるいたものだ。今はそういうことをやっていないかもしれない。淋しい気がするが、仕方がない。 いずれにせよ、古き良きものはいつまで経っても残っていて欲しいと願うだけだ。 「七夕がいつまでも続くように心の短冊に書いておこう」と、思った。
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