umityanの日記
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2002年07月08日(月) あーあー、人間って、どこまで現金なんだろう。

あーあー、人間ってどこまで現金なんだろう。
at 2002 07/08 11:58 編集

ここ数日、雨やら曇りやらで、天気が悪かったが、今日は見事な快晴。暑くなりそうだ。部屋の中ではクーラーという文明の利器にあずからなければ、どうも、やっていけない。昔と比し、温暖化が進行したことと、豊かさにおぼれてしまったため、体が文明の利器を要求してしまうのだろう。今ではクーラーも各部屋一台の時代だそうな。弟(僕がそう呼んでいる仕事仲間)のところは八台もあると言っていた。「ええええっつ、おまえんとこ、そんなに部屋があったっけ」と言うと、夜空を眺める屋根裏部屋にまで、設置しているとのこと。星を眺めるより、女房のハンマー投げが怖くて、屋根裏部屋にこもることがあるのでは?。まさか、クーラーをつけながら、「おい、おい、うえーーーん」と泣いているのではないだろうな?。笑ってしまった。豊かになったことは良いが、最近は扇風機や、うちわを使っていた頃が懐かしくさえ思える。山間の田舎では、クーラーなんてなくても、谷川のそよ風が清涼飲料水みたいなもの。涼しくてさわやかだ。以前、よく思った。ごみごみした雑踏のなかで、一生をおくるよりは、山間の田舎で暮らせればいいなああーーーと。今でもその気持ちはあるが、なんせ、娑婆の汚れた空気をどっぷりと吸ってしまったので、今、無菌状態の自然のなかへ放り込まれたら、かえって病気になってしまうかもしれない。それでも良い。たまには、命の洗濯をしに出かけたいものだ。僕がこう言うと、弟が、「あんちゃんは?・・・とは言わないか。あんたは女性連れじゃないと、一人ではそこに、いられないよなあ・・ーーー?」と、「きつーーーーい」ことを言った。僕は繭を吊り上げて否定したが、確かにそうだ。一人では一日も、もたないだろう。どうも、僕の淋しがり屋は人一倍のようだ。ペットでもいれば、山のなかでも、寂しさも和らぐかもしれないが、果たしてどうだろう?。ムツゴロウ先生は、「ヒグマのメスさんに惚れられて、柔噛みされたりして、真剣に結婚したいと思った」と、言っていた。まさか、ヒグマと暮らすわけにもいかない。僕なんか、「肉が乗ってうまそう」と、ヒグマに食べられてしまうのが、おちのようだ。結構、人間ってわがままなんだよなあ。人がいるとうるさく感じるし、いないと淋しく思う。なんて現金なことか。それでも、いつか、僕が死期を迎えるならば、山奥でもいい。静かで空気のきれいな場所で、ひっそりと逝きたいものだ。もちろんやさしい女性がそばにいることに越したことはない。


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