umityanの日記
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| 2002年07月15日(月) |
相手をおもんばかる気持ち、心。忘れまい。 |
相手をおもんばかる気持ち、心。忘れまい。 at 2002 07/15 18:15 編集
蒸し暑さだけを残して土・日が去った。田舎は都会の喧騒とはうって変わって静かである。田んぼのあぜ道を行きかう人もなく、遊んでいるわらんべの姿も見えない。ただ、水面から緑色の顔を出した苗が、台風の近まりを告げるべく、風で大きく揺らいでいるのが印象的だ。静かなのはいい。ただ、こうも静かだと不気味でさえある。一人で静かに書斎にいると、思わず、背後から、「ミルンさん、ご機嫌いかが?」と、骨ばった白い指にダイアモンドの指輪をはめた幽霊さんが、にゅーーーつと腕をさしだして、ほほをなでるような気配を感じて、背筋がぞーーーつとする。振り返れば、「なんだ、風になびいた葉っぱが窓ガラスの後ろで揺れているだけか」ということになる。それはそうと、今は幽霊さんも指輪をはめているそうな。豊かになったものだ。 そんなことを考えながら、昨日は昼間から夕方にかけて、庭木の剪定をした。夜は早めに床についたが、悶々として眠れなかった。何気なくテレビのスイッチをいれた。ちょうど、NHKで40年前のドラマを放映していた。「巣立ち」という題名だった。戦後十数年を経て、日本社会もようやく、高度成長へさしかかろうかという時代の母と子の心の葛藤を描いたドラマだった。見入ってしまった。久しぶりの良いドラマに涙を禁じえなかった。母子家庭にまだ偏見があった当時の社会のなかで、戦争で夫と子を失った女が、孤児を我が子として、力強く育ててきた。その子が就職で巣立っていく時が来たのだ。彼女と共に戦争を生き抜いてきた女友達との友情。慈愛に満ちた高校教師の存在。主人公と同じ境遇の友人たち。これらをとおして、母と巣立ち行く子の愛が見事に描かれていた。とめどなく涙がながれた。誰も見ていないときは、男の涙もいいものだ。主人公を取り巻く人間関係の根底を貫いているものは、「相手のことをおもんばかる気持ち、心」であった。今は薄れててしまったものかもしれない。自分の母のことを考えてみた。同じである。恐らく、当時の時代を生きた女は皆、同じような心を持っていたに違いない。やがて、時代がさがり、社会が高度成長を迎え、豊かさに身をやつすことを覚えたとき、個人主義、利己主義が、相手をおもんばかる気持ちをしのいでしまった。心が置き去りにされてしまったのである。悲しいかな、今もそれが進行している。しからば、置き去りにされた心を取り戻すにはどうすればいいのだろう?。まさか、いまから、「貧しさに戻ればよい」とも言えないが、なんだか、そういう方向に21世紀が進んでいるように思える。そうそう、最近、心温まる出来事があった。ある人の書き込みに、「雑草刈りの手伝いをしましょうか?」というメッセージが書いてあった。冗談かもしれないが、まだ、そういう心優しき人が、この日本にもいたのかと、いたく感激してしまった。僕は即、答えるだろう。「お申し出、おいしくいただきます」ってね。
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