umityanの日記
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| 2002年08月04日(日) |
叔母の初盆と一周忌。 |
叔母の初盆と一周忌 at 2002 08/04 21:17 編集
まもなくお盆だ。昨年、叔母が亡くなって、今年は初盆と一周忌が、ほぼ同時にやってくる。早いものだ。昨年、ホスピス病棟に入院していた叔母を見舞ったことが、つい先日のように思い出される。車椅子を押しながら、水槽の中で気持ちよく泳いでいる鯉を、しばらく眺めた。叔母はどういう気持ちで、この鯉をながめていたのだろうか?。僕は、この鯉のように強い生命力で、病気なんか跳ね返して欲しいと願っていた。だが、いかんせん。叔母は延命治療を望まず、ただ、ひたすら精神的ケアを中心にすえ、この病棟で余命をまっとうしたのだ。僕の気持ちとしてはなんとも、いたたまれなかった。人間は自らの意志で生まれては来ない。しからば、死ぬときぐらいは、自らの意志で死を決定したいという考えもあるだろう。叔母はその考えをとったのだろうか?。うんんん、分からない。この問題はとても難しい。要は人、それぞれの価値観によるのだろうが、その時にならないと分からないというのが、今の僕の心情だ。不治の病ならば、あえてベッドに横たわらず、好きなことをやって、太く短く生きるもいいだろう。すくなくとも不治の病でなければ、積極的に病と闘うのもいいだろう。やはり、自分が、どういう道を選択するか、その岐路に立ってみないとなんとも言いがたい。 いずれの道を選択するにせよ、死は生きとし生けるものの宿命。生還することのない片道切符の旅である。今なお、叔母の姿は僕の心の中に鮮明に刻まれているが、恐らく、時の流れとともに、それは風化し、忘れてしまうだろう。やがては僕自信が旅立ちの切符を買わねばならない時がくる。果たして、僕はそのとき何を思うのか?。今はなんとも言えない。 出来れば、「わおーーーーっつ、死にたくない!!!」と叫んで死にたいものだ。 そういえば、今年も、著名な人たちが何人も亡くなった。叔母と同じように、やがては僕の心からも消えてしまうであろうが、今は心から冥福を祈りたい」。
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