umityanの日記
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初盆と葬式と。 at 2002 08/11 18:52 編集
昨年以来、仕事仲間の先輩たちが何人も亡くなった。初盆に当たる人もたくさんいる。ボスは、役職がら、当然のことながら初盆先へ出向くことになる。今日は、たまたま、ある先輩の初盆へ、ボスと一緒に僕も出かけることになった。 思えば亡くなった先輩は、それはそれは仕事はベテラン、遊びも若い頃から亡くなる寸前まで超ベテランで、僕も随分、勉強させてもらった方である。知らない遊びや夜の社交の店を多々、教えてもらった。いろんな店で、「いかに安く飲み、楽しく飲むか」が、至上命題であった。そういった諸々の面で、自分の見聞が広くなったことは確かだ。今のボスからも同様。進行形で、たっぷり教え込まれている。どうも、僕は年配の人から好かれるようだ。同僚とは、ライバル意識むき出しで、必ずしも親しい友人と言うわけでもない。それはそれでいいとして、知己の人が亡くなるのは、身内の死と同様、ショックであり、何故か無常を感じる。胸の中に「ぽかーーーん」と大きな穴が開いたような感じである。 そういえば、昨夜、図らずも、「お葬式」という映画をテレビでやっていた。一生に何度か、人は誰でも直系や傍系の親族の死に遭遇し、自らが重要な役目を引き受ける羽目になる。初めての体験の場合、「どうしたらいいのか、皆目分からない」というのが当たり前。長老やら、物知りの知恵を借りて、慌ただしくというか、どたばたというか、儀式が行われる。テレビを見ながら思ったことだが、亡くなった人を賑やかに送ってやることはいいと思う。死が新たなる旅立ちであるならば、祝って送り出すべきだろう。かといって「はちゃめちゃ」のドンちゃん騒ぎではいけないが、心と儀式が丁度あいまって、立派な告別が出来ると言うものだ。賑やかに送られると、亡くなった当人は、はとが豆鉄砲を食らったように目を白黒させて、「俺が死んだというのに、酒を食らって笑ってやがる」と不満かも知れないが、いかんせん。棺おけのなかでは 身動きがとれない。呼べども叫べども誰も応えず。これがまさに、死なんだろう。 映画の最後の方で、主役が言っていた。「俺の死は桜の花が真っ盛りな時期にしたいなああーーー」と。何故か、僕も同感だ。旅立ちは気持ちの良い時節がよい。おっと、僕はまだ、そういうことを考えるには早すぎた。もっともっと貪欲に生を享受せねばならない。「わおーーーーっつ」と叫びながらね。
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