umityanの日記
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2003年02月26日(水) 100歳まで生きる心境。

100歳まで生きる心境。
at 2003 02/26 11:54 編集

97歳のおばあさんが亡くなった。僕と血縁はない。義父と知り合いだったことにより、僕とも縁ができた。おばあさんは、一世紀近く、ほとんど「ボケ」もなく、しゃきしゃきと生きてきた。もちろん、若い頃は苦労もあったに違いない。それにしても、日々是好日といった感で、屈託なく生きれこれたことはただただ、すばらしく思える。

おばあさんは短歌が好きだった。やはり、頭をめぐらして、感じたことを言葉に表す訓練をすることはボケ防止にもなるのかもしれない。昨年までは月に15句も作って、短歌の会へ投稿していた。特選や入選をすると、色紙や短冊に墨で書かれて送られてくる。それを拝見して、「いやああすばらしい」と、僕はただ頭を下げるだけ。
昔の人は良く言葉を知っている。短歌に使われている漢字さえ読めない僕は、いつもなんとなく恥ずかしさを感じたものだ。

おばあさんの死に」遭遇して、ふっと生のことを考えた。
生、生って一体なんだろう?。昨今、自殺を図った若者がニュースで取り上げられていた。彼らには彼らの論理があるには違いないが、僕はやはり、自殺は肯定できない。今、ここに生を受けているのは、この大宇宙のなかの奇跡なのだ。宇宙から見ればばい菌にも満たないちっぽけな存在であるが、この宇宙の中で、唯一の生命体かもしれないのだ。その奇跡を自ら放棄するなんて到底僕にはできない。ただ、人間は、「考えること」を知ってしまった。そのことにより、喜びや悲しみや愛や憎しみを知ってしまった。はたまた、飽くなき欲を持ってしまった。

「はたしてそれは良かったのか?」と問われれば、僕はためらわず良かったとこたえるだろう。何故なら、我々はどんなにちっぽけな存在であっても、宇宙の進化k担う担い手であるからだ。欲も無欲も、愛も憎しみも、すべてをひっくるめて、進化の循環サイクルに乗っかって、宇宙を旅しているのだ。個々人の死は次世代へのバトンタッチなのだ。バトンタッチをせずに、生を放棄することは、たとえ、死の選択が自由ではあっても許されないような気がする。

おやおや、僕は一体、何が言いたかったのだろう?。きっと、97歳のおばあさんのように、自分も生きたいという願望が、今日のような言葉になったのかもしれない。
僕は生きるで・・・・・・。百歳まで生きてやる。今、そんな心境である。「いえーーーーいいっつ」。


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