umityanの日記
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2003年04月25日(金) 風薫る五月まじかのハプニング。


風薫る五月まじかのハプニング。
at 2003 04/25 13:30 編集

最近、天気が芳しくないが、いよいよゴールデンウイークに突入だ。よそ様は、青葉若葉を目指して、あっつちこっち、旅をするのかもしれないが、悲しいかな。僕は仕事だ。正月以来の連休も僕には関係なし。毎年のことだから、仕方がない。
父の命日が五月だから、本当は実家へ帰って、おふくろを喜ばせてあげたいと思っても、それもかなわない。まあ、健康で働けることが最高の親孝行かもしれない。とりあえずはそう思うことにしている。

それはそうと、21世紀になって、日々があわただしく、気がやすまらない。その反動で、夜の酒場を俳諧しているわけでもないが、先日、のりちゃんと飲みに言ったとき、なんと、二人で焼酎の五合瓶を空にし、さらに飲むわけだから、酩酊するのは当たり前。すっかり、にんまりしてしまった、彼の口から、思いがけない言葉がとびだして、店内は大うけ。といっても、小料理屋は僕たちの貸切みたいで、久々にご機嫌の「まあるいお目玉」のママさんと、超、超美人の「奈美ちゃんが」お相手だ。
願いましては、2プラス2で、総勢4名である。

のりちゃんが、「言いにくいことを話していいか?」と聞くので、僕たちは「もち、いいよ」と言ったところ、ななななななななななんんんんと・・・・、「彼は僕が好きで、一緒に寝たい」と言う。これには僕もびっくり仰天。真面目な顔をして(といっても、彼は相当、酩酊はしているけど)言うものだから、店内は笑いの渦。僕は「そんな趣味はないよ。とんでもない」と強く打ち消した。
長い人生、やってきて、そう言われたのははじめてである。男性であれ、女性であれ、「好きだ」」と言われることは、悪いきはしないが「寝たい」と言う言葉は余計だった。彼が言う「寝たい」という言葉は、「愛している」という意味なんだろうか?女性に言わせれば、「好き」と「愛している」とは、意味が違うらしい。好きだけど、愛していないことって、あるのだろう。そういう場合は尊敬というのだろうか?。

本来、単細胞の僕は、そういうことを深く考えたことがないので、よく分からない。
僕のスタンスは、いつも、「スカッとさわやかなコカコーラみたいな関係」。これが一番。好きであれ、愛であれ、尊敬であれ、そうである。さらに、もう一つ、「くるものは拒まず、去るものは追わない」。かっこいい表現だが、要するに自分に自信がないから、去られれば、「仕方がないか」とあきらめるほうである。

ママさんは、大きな目を「かーーーーっつ」と見開いて、びっくらこいていた。「えええええっつ、のりちゃん、それどういう意味?マジなの?」と怪訝な様子でやり返していた。のりちゃんは、しどろもどろで、それを打ち消していた。要するに、のりちゃんは、「それほど、僕たちは気が合う」と言いたかったわけだ。それなら、僕も同感だ。ただ、言葉の表現として、辛らつな言葉を選んでしまったことを、彼も後悔したに違いない。

何かの本で読んだことがあるが、本能的に、男性には「ホモセクシャル」的なものがあるのだそうだ。
僕にも若い頃、思い当たることがある。そこいらにはいないような、なかなかの美男子がいた。話していると、その表情が美しく思えたり、連れ立って歩いていると、女性や、おばたりあんの人たちから、「じろじろ」見られ、「それは僕じゃないんだ」と自分に言い聞かせたものだ。自分じゃなくても、悪い気はしなかった。
又、二人きりになると、一種の気まずさというか、照れるというか、妙な気持ちになったものだ。こういう気持ちが、男の「ホモ」的な感覚かもしれない。さすがに、今は、そういう気持ちになることはないが、純粋なのりちゃんは、まだ、そいう気持ちを持ち合わせているのだろう。

風薫る五月まじかのハプニングでした。




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