umityanの日記
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| 2003年05月16日(金) |
有事法案と気品。何の関係もないか? |
有事法案と気品。何の関係もないか? at 2003 05/16 10:47 編集
風薫る五月がどんどん過ぎていく。なんでも、沖縄は梅雨にはいったそうだ。季節はながれ、僕たちの生活時間も、流れる。 巷を見回せば、いまだに、あちこちで、テロが起こり、世界情勢は緊迫している。 日本でも、「有事法案」が衆院を通過し、参議院でも即、通過しそうな気配である。
よく考えてみると、有事法案というのは、有事の際の、対処方法というか、慌てふためかないように、あらかじめ、行動基準とか、情報の伝達基準みたいなものを定めておくというものだろう。こういうことを、決めておかねばならい社会というのは、健全ではない。ただ、世界の中に脅威があれば、当然、それを避けるべく手段を講じることはやむをえないことかもしれない。
ただ、有事法案は、国家の存続を第一にすえたものであり、国民の生命や、財産を守る国民保護法案は、まだ、日の目を見ていない。早期成立を願いたいものだ。
話は変わるが、 今、山崎武也という人の書いた「気品の研究」という本を読んでいる。本屋で、ぱらぱらとめくったら、分かりやすく面白そうだった。実は、そのことよりも、一体、僕に、どれほどの気品が備わっているか、知りたい気持ちの方が勝っていた。 読みながら、呆然、唖然である。ことごとく、氏の言っている内容から程遠い自分を発見。いやああ、気付いただけでも収穫だ。飯の食い方は早いし、テーブルマナーは悪いし、話すときのジェスチャーは大げさだし、姿勢も必ずしもよくない。「笑うセールスマン」だから仕方がない。彼も、猫背みたいであり、短い足に大きな靴をはいて、のっしり、のっしりと歩いているではないか。自意識も過剰で、品のよい着こなしには、到底おぼつかない。ほとんどの気品にはずれ、あえて、当たっているところは、先祖あっての自分ということで、先祖に感謝しているくらいだろう。
まあ、それはいいとしても、日本の皇室のかたがたは、確かに気品にあふれている。 ちょっとしたしぐさの中にも、気品と言うか、潤いと言うか、そういうものが、漂っている。それを、自然体でなされているところが、素敵である。 僕なんか、どれほど、つくろっても、「ぼろ」がすぐに出てしまう。「頭かくして尻隠さず」 である。庶民的で良いといえばそれまでだが、やはり、大人になれば、それないり気品は持ちたいものだ。訓練して習慣つけば、おそらく、少しは気品高い男に生まれ変わることも可能だろう。果たして、いつになることやら?。棺おけに足を突っ込んだころ、気品高く、「我が人生は満足だった。さらばだ。苦しゅうない。もっと近うに。」と華南とか言って叫ぶようでは、気品どころか、あまりにもはかないではないか。反省ばかりでは先に進まない。さあああ、のりちゃんではないが、のりやすい僕は今日から気品の研究に磨きをかけて、邁進しよう。「今に見ていよ。僕だって」と意気込んでいる今日の朝である。
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