umityanの日記
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2003年09月09日(火) 日記と帽子と敬老の日。

日記と帽子と敬老の日。
at 2003 09/09 20:16 編集

9月になって、二回目の日記を書く。忙しかったわけではない。ただ、なんとなく筆が進まなかった。こういうときは、スランプと言うのだろうか。要は、心のどきどきがなく、平凡に、つつがなく生きていたから、書く材料が乏しいのかもしれない。
今日もそうだ。

のりちゃんは、相変わらず夏休みをエンジョイしているみたいで、お声もかからない。こういう時は、人って現金なものだと、つい思ってしまう。ま、これは仕方がないことだ。人は皆、自分の都合で行動しているわけだし、他人の都合に合わせているわけではないからだ。僕みたいに暇人ではないだろう。

本来、僕はせっかちで、ひととこにじっとしているのが嫌いな性分である。それが、たまに、じっとしているときは、まず、体調不充分の時と、手元に自由になる虎の子がないときである。今日なんかそうである。至って品行方正。こういう僕を見かけると、「へーーーー珍しいね」と、好奇の目で見られる。そんな時、僕は言ってやるね。「僕だって不死身の男じゃないんだ。たまにはじっとしているさ」とね。まあ、これは強がりかもしれないが。

それはそうと、今日もすこぶる暑かった。清涼飲料水を飲んでは汗を掻き、汗を掻いては水分を取る。これじゃあー、いたちの追いかけっこというものだ。何でも、最近、熱射病で亡くなる人が多いのだそうだ。昔は日射病というものがあって、今もあるだろうが、熱射病の方が幅をきかしているようだ。熱射病の方が、病状が重い印象を受けるが、これは当たっているのだろうか?。

僕の頭髪は、いまや 風前の灯火。帽子なしでは、即、ゆでだこになってしまうだろう。こんな時、帽子はありがたいものだ。テレビで言っていたが、最近、芸能人の間でも、帽子が流行しているそうな。そのせいか、街中を歩くと、それぞれに、お似合いの帽子をかぶっている人が目立つ。僕なんか、結構、幅というか、つばの広い帽子をかぶっている。そうでないと、「とっちゃん坊や」みたいに見えて、あまりに「おじん」臭くなってしまうからだ。つばがひろいと、それなりに、かっこよく見えるから不思議だ。「うつしっしーーー」と、気取りながら町を闊歩するわけである。一瞥を投げるのは小さな子供たちだけ。大人たちは怖そうに、目をあわさず、避けて通っているようだ。まああ、僕と言う人物を知らないわけだから仕方がない。

帽子も毎日かぶっていると、汗で黒い帽子にしみが付く。名誉の勲章ならまだしも、汗の塩分が乾いて、塩になったんだろう。違うのをかぶればいいのだが、どうも、かぶりなれたやつがいいので、そのままにしている。時々は水で洗って、元に戻るが、それもつかの間である。やはり、僕は貧乏性なんだろう。まだ、新調していない。誰か心ある方のカンパがほしいものだ。

そうそう、今日は、間近に迫った「敬老の日」のことをテレビで言っていた。なんと、百歳以上の人が全国で二万人以上いるのだそうだ。最高齢は116歳の女性。いやああ、お見事というしかない。もの珍しそうに、インタビューアが持っているマイクに興味を示していた。顔はさすがに年輪を重ね、しわで深く刻まれていた。やはり、人間は健康で、自然とともに、与えられた生を全うすることが、最高の生き方であると痛感した。僕もそうありたいと思っているが、日ごろの品行不方正がたたって、長生きも出来ないかもしれない。
それでも、「しぶとく生きてやるぞ」と僕の心が叫んでいる。

とりもなおさず、116歳のおばあさん、おめでとう。男性は114歳だそうな。こちらも、おめでとうだ。
ただ、悲しいことに、100才以上の大半が女性と言うから、これは不公平だぜ。神は何故に、こんな不公平なことをしたのだろうか?。女性は子供を産むから、「ご褒美」として、長寿をさずけたのだろうか?。男ってかわいそうだぜ。分からない。分からないところで、このペンを置こう。


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