umityanの日記
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彼岸と僕の誕生日 at 2003 09/23 13:06 編集
今日はお彼岸の中日。太陽が真東から出て真西に沈むのだそうだ。西の彼方には浄土があると言われている。こんな日に墓参りなどして、先祖様に感謝申し上げるわけだ。彼岸も、盆も正月も、墓参りする。こういう習慣って、とてもよいと思う。なんといっても、自分は祖先があって、今日、ここにいるわけだから、先祖様に感謝するのは至極、当然のことである。
ただ、世の中は昨今、あわただしく、どういう方向へ進んでいるのか、よく見えない。造れ、増やせで発展してきた日本経済も、今では物あまり。売れない商品を大量に抱えた企業は、どんどんつぶれていく。かといって、製造を止めたら、今度は品不足となり、社会は混乱する。なんか、矛盾しているようだ。適正な製造に適正な消費と適正な利潤。これが理想だろうが、その適正さの目安が今ひとつ分からない。 結局、弱いものがつぶされていく。それを防ぐために、いろんな法律が出来るわけだが、既に遅しという感を免れない。 むしろ、法律をつくるなら、規制を強化する法ではなく、「心のビタミン増加法律」でも、先に制定し、そく、実行に移すべきだろう。心にビタミンが充満していなければ、世の中はよくならないだろう。
不運に打ちひしがれた時、人は先祖様の墓の前にたって、「申し訳ありません。こんなじゃなかったのに、なんか歯車が狂ってしまいました。」と、申し開きをする。 これじゃあ、あまりに悲しい。やはり、元気な姿で、感謝の気持ちを持って墓参りはしたいものだ。
それはそうと、彼岸が終わった頃、僕の云十回目の誕生日がやってくる。若い頃は、プレゼントをもらって、祝ってもらうことが楽しかった。プレゼントの封を切るとき、心がドキドキと高鳴ったものだ。最近ではその心の高まりもなく、「また、誕生日がやってきたか。いやだなあーーーー」と、どうしようもないその現実を、いとわしくさえ思っていた。 うんん、しかし、こういう気持ちを持つことは、やはり、間違っている。
イチョウの葉っぱが金色にに色付いて、やがて散って枝のみになる。それでも、翌年には又、若々しい見事な緑の葉っぱで覆われるのだ。人間もしかり。老いて死を迎えても、一粒種か二粒種か知らないが、自分の遺伝子を持った子孫が残って、娑婆世界を生きていくわけだ。その、子孫に自分が培った諸々の経験や、心のビタミンを授けるには、年月が必要だ。「老い」は、いわば、心のビタミンの貯蔵庫である。子孫はその心のビタミンを大いに吸収すべきだ。
結局、人間も、生あるものは皆、自然,言葉を変えて言うと、宇宙の循環サイクルに乗っかっている。誰がこしらえたかは知らない、世代交代のプログラムを着実に実行しているわけだ。ただただ、プログラムの精巧さに驚くばかりである。しかし、驚くばかりではいけない。進化の担い手として生かされた、生に感謝である。この気持ちで誕生日を迎えようと思う。
あちこちから言われるであろう、「誕生日、おめでとう」の言葉。素直に感謝の気持ちを持って、「有難う」と」言える自分でありたい。
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