umityanの日記
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| 2004年05月31日(月) |
月末の電話はどきっつとするぜ。それも朝から。 |
月末の電話はどきっつとするぜ。それも朝から。 at 2004 05/31 10:27 編集
いよいよ月末だ。そのせいでもないだろうが、早朝より、けたましく電話が。「一体何事ぞ?。何か不幸ごとでもあったかしら?」と出てみると、友人からだった。ほっとすると同時に、用件の内容は即、ピーンときた。
彼は最近、サイドビジネスとして、ある商品の販売を扱っている。その商品の効果を試すべくモデルとして僕が選ばれたわけだ。既に装着して数週間になる。今のところ、顕著な効果があるという実感はない。日ごろ、その効果について意識していないからかもしれない。正直にそう告げると、今日、サンプルを引き取りに来ると言う。ま、これは仕方がないことだ。まずは、継続は力なりで、良いものならば、積極的に、緻密に売り込んでいくしかないだろう。
そもそも、画期的な発明・発見などは、簡単に道端に転がっているものでもない。やはり、それなりの世間の評価が物も言うわけだ。検証に検証を重ね、やっと日の目を見る。友人もそのことは分かっているようだが、生活のためならば、背に腹は代えられぬということで、頑張っているわけだろう。
よくよく考えてみると、最近の商売は懸賞やら、景品でつった商品広告があまりにも多すぎるようだ。ネット商売が普及し、僕も当初は、懸賞に目がくらんで、几帳面に応募だけはしていた。最近は、「もうみるのもうんざり」ということで、ほとんど、ゴミ箱行きである。
これから先、ネットを利用した商品売買はもっと、もっと増えていくだろう。居ながらにして、商品が買えると言うメリットは大きいが、同時にリスクもあるということを考えなければならない。手に触れられず、期待していたものと、大きく違っていたとか、代金決済がおりあわないとか、欠陥品が届いたりとか、あげれば暇がない。
要は、自分が納得のいくものを、あらゆる角度から調査研究して、行為に及ぶべきだろう。
そうこうしているうちに、今度は携帯のベルが・・・。「またまた何ごとぞ、朝早くから」と出てみると、今度は別の友人からであった。彼は僕と同業者であり、なかなかの好人物である。彼も、先程の友人と同様、違った職種に今、手を出している。 最初、その仕事を聞いて、びっくりこいたが、「保育所」をやり始めたとの事。素人の又素人が、「一体大丈夫なの?」と聞くと、いたって平然としている。既に資格者を二人ばかり雇用し、社会保険も労働保険も加入済み。「偉い・・・・」と僕は叫んだが、まあ、これは事業主として、当然といえば当然か。
その彼が、事業を始めたに当たって、帳簿のつけ方等を聞いてきたわけである。 「今は、パソコンに会計ソフトを入れたら、たちどころに、目的が達せられるよ」といったが、パソコン導入には、もうしばらくかかるらしい。しからばということで、手作業による記帳を先日来、伝授したわけだが、どうも今ひとつ、理解していなかったようで、今朝の電話と相成ったわけである。
かといって、僕もその道のプロではない。僕の説明不足もあったのだろう。よし、奥の手だということで、長年、僕が愛用していた本を一冊、貸してあげることにした。 最初からそうしておけば、なんのことはなかったわけだ。まあ、僕としても、犬も食わないプライドがあった。まずは、自らの口で説明してと、思ったわけだが、どうも、舌足らずだったようだ。
この本は、僕にとって財産といって良いくらいの名著。山ノ神に言わせれば、「そんなきたない本、早く処分して」と言わせしめている輩の一つである。
彼はテルの後、車を飛ばして、その本を借りにきた。人様のお役に立って、その本も本望だろう。僕も嬉しかった。彼はなお、嬉しそうに顔をほころばせて、いざ、保育所へ出陣といって去っていった。「一体誰が保育されているのかな?ーーー、まさか、彼じゃあ、あるまいな」と、思わず、笑いがこみ上げてきた。
さあ、僕も人様にかまっている暇はない。例の五穀米いりのお粥を食べて、がんばらなくちゃああ・・・・。 なんか、朝からせわしかったが、すがすがしい気がしている。
雨は生命の源だ。 at 2004 05/30 09:44 編集
いよいよ、入梅したようだ。「今年も、忘れずに、几帳面にやって来てくれた。入梅・・・万歳」。こう叫ぶのは僕だけなんだろうか?。豪雨地帯の人たちには悪いが、本来、雨は好きである。小ぬか雨、霧雨、しとしと雨。じゃあじゃあ雨。色んな雨の表現がある。ただ、台風に伴う雨だけは歓迎しない。これは当然と言えば当然か。
雨はなんといっても、生命の源である。雨に打たれた、植物達が、その姿を輝かしている。青葉、若葉が、際立った美しさをかもしだすのも、この雨のせいかもしれない。カタツムリは、のそりのそりと、雨にぬれた葉っぱの上を這い回る。自然が生み出す芸術。脈々と命が息吹く。日本ではこの季節が梅雨なのだ。
小さい頃は雨に打たれても平気だった。雨で顔をぐしゃぐしゃにして、家に帰ると、母がよく言ったものだ。「どうしたん。誰かに泣かされたんかい?」と。まあ、そういう時もあったかもしれないが、僕は決まって、「ちがうわい。雨がふっとんや」と、弁解したものだ。
人はよく、「備えあれば憂いなし」で、雨が降りそうなときは、傘を持ってでかけるようだが、僕はいまだに、その準備はなしだ。まず、荷物になる。必ず、どこかへ忘れる。天気予報が外れたとき、傘を持って出たことを後悔する。頭には、「笑うセールスマン」タイプのハットをかぶっているから、ぬれても心配ない。ざっと、以上のような理由から、大人になった今でも、傘を持ち歩くことはない。
強がりなことばかり書いたが、今は車社会。ちゃんと、トランクの中には、傘が一本放り込んである。ほとんど、使うこともない。あえて、弁解すれば、自分のためではなくて、人のためである。自分は濡れても、まさか、レディーをぬらすわけにはいかないからだ。マメな僕の計らいである。 雨のことばかり書きすぎた。
今、イラクや、世界のあちこちでは、大変なことになっている。日本人ジャーナリスト二人が、襲撃を受け殺害された模様。放映された車の残骸はあまりにも、ひどすぎた。非戦闘員を攻撃するなんて、あってはならぬこと。その前に、戦争そのものがあってはならないことだ。幾多の人の血が流れたことか。
「血の雨は、流す涙の、意味さえも、知って知らずか、大地を染める」。
なんという悲しい現実だろう。あい争う人間の姿を神は想定されていたのだろうか?。否であろう。時々思うことがある。その、大昔、生命は何度か死に絶えた。消滅プログラムが実行されたわけだ。かろうじて生き残ったもの達が、ここまで復活を遂げた。そして再び、神は考えているのかもしれない。そろそろ、生命体消滅プログラムを実行すべき時期ではないかと?。
一瞬にして、すべてが消滅するならば、それもいいだろう。そこから、新たなる生命が誕生していけばいいわけだ。荒涼とした砂漠に美しい一輪の花が咲いて欲しいものだ。 降り注ぐ雨を見ながら、ただただ、平和が早く来たらんことを願っている。消滅プログラムが実行される前に、世界平和を取り戻したいものだ・・・・。
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