umityanの日記
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2004年06月19日(土) 朝顔に朝顔の花が・・・・。

朝顔に朝顔の花が・・・・。
at 2004 06/19 11:23 編集

蒸し暑い毎日が続いている。どんよりとした空。泣き出しそうで、なかなか泣かない空。どうも、中途半端は良くない。すかっと、さわやかに行きたいものだ。

そういえば、大型の台風が接近している。心配だ。風速50メートル級に見舞われると、そりゃああ、たまったものではない。瓦が飛び、ガラスが割れ、木々が折れる。天井から雨が漏れだし、電気がストップする。吠え叫ぶ風声におののき、暗闇の中で、身を寄せ合って、台風の通過を待つ。幾度となく、経験してきた光景である。一夜明けて、あたりは残骸の海。「よくもまあ、ここまで、暴れたものよ」と、感心すると同時に、自然の驚異の前に、あまりにも無力な人間の姿を思う。

窓越しに、朝顔が、その可憐な姿を見せている。風で、ゆらゆらと揺れながら、必死に生きている。その姿に僕はいつも教えられるのだ。バラにバラの花が咲く。桜に桜の花が咲く。朝顔に朝顔の花が咲く。何の不思議はなけれど。当たり前か?。

そう、そうである。「当たり前のことを当たり前にする」。これが自然であり、自然の真実の姿である。我々人間も、この自然の生き方を見習う必要がある。これが、出来そうで、なかなか難しいわけだ。学校教育で、必要なことは、当たり前のことを当たり前にという、この、「自然の生き方」を教えることだろう。

しからば、「日々、酒を飲み、夜遊びにいそしんでいる、お前の姿は、真実の当たり前の姿か?」と、いう、疑問がわいてくる。
僕は答えるだろう。「知恵の水=般若湯=酒で、のどを潤し、娑婆世界のことを少しばかり考えるのも、当たり前の生き方だ」と。うんんんんん、これはどうも詭弁臭い。いや、詭弁である。「当たり前のことを当たり前に生きる」とは、そういうことを言っているのではないだろう。

ゴミが落ちていたら、黙って、そのゴミを拾う。トイレのスリッパが乱れていたら、きちんと、そろえる。要するに、そう言った何気ない行動のすべてが、当たり前に生きることの実践なのだろう。

ちょっと、禅問答的で難しくなった。僕はいつも思うのだ。何故か、人生ってむなしいと。笑って平気で生きている姿も、老いていく姿も、死んでいく姿も・・・・・。

僕がそう感じるのは、恐らく、当たり前のことを当たり前に生きていないからだろう。真実の自然の姿・・・朝顔に朝顔の花が咲くように・・・と一体になって、生きれるようになったら、涙も、笑いも生も死も、肯定も否定もせず、当たり前に受け入れられるのかもしれない。

うんんんん、人は死んだら仏になるというが、生きながらにして、仏になるのは難しいぜ。考えていると、ついつい般若湯が欲しくなる。これはいかがしたものか???。今日はちょっとばかり、哲学的になりすぎたようだ。





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