umityanの日記
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2004年06月21日(月) 今日は評論家へ変身だ。

今日は評論家へ変身だ。
at 2004 06/21 12:26 編集

六月三週目の月曜日がやって来た。昨夜は台風の動向が気がかりで、眠れそうになかったが、体は正直だ。いつの間にやら、寝込んでしまったようだ。夢を見なかったので、記憶はない。恐らく、死んだ状態はこういうことなんだろうか?。目が覚めてよかったぜ。

幸い台風は、こちとらを避けて、予報どおり、四国に上陸する模様。ただただ、被害が出ないことを願うだけである。

昨夜は、確かに気持ち程度の風が吹いた。それはそれとして良かったが、問題は気温だ。フェーン現象とかなんとかで、温度がうなぎのぼり。人間の体温をはるかに超え、あわや、40度になりはしまいかと、気をもんだ。今は心なしか風の余波の影響で、気温は下がったが、なにせ、湿度が高い。むしむしとして、体から汗がにじんでくる。そういえば、先程、辛口の明太子を朝食のエサとして、食べたのも、汗噴出しの原因の一つか?。いずれにせよ、自然がおりなす現象とあらば、仕方がないか。

巷を見渡すと、世情は年金問題、イラク問題、参院選等で、揺れている。年金改革、これは、人が皆、法の上で平等で、文化的な最低限の生活を営む権利を有するのであれば、制度の一元化を模索し、負担と給付の不平等感を是正することが必要だ。負担も全額、税でまかなっても良いかもしれない。細部については、真摯に、国会の場で、論議してもらいたい。

イラク問題は、まさに、正念場。政権をイラクへ返還し、安定した国家再建を目指すわけであるが、その道はいまなお、暗い。
戦闘が続くかぎり、治安の安定はない。日本の自衛隊も、国連軍の一員として、治安復興、後方支援等に当たるわけだが、全く先が読めず、危機と隣り合わせの状態。ゆゆしいことである。ローマ法王が世界平和を提唱することは、意義あることだが、その言葉さえ、むなしく響く昨今。
神や仏は一体、どこへ行ったのか?。

いわずもがな、神や仏は我々一人一人の心のなかにある。暴力はやはり、肉体ではなく、心で沈めねばならないだろう。そうでなければ、安寧秩序なんて得られない。

僕は時々考える。色々と模索されている世界の平和構築。何かが欠けている。その欠けているものは何だろうって?。

ふと、思ったが、子ども。「子どもの存在、行動」が欠けているのではないかと。純な心を持った子ども達が「世界平和子ども同盟」なるものを構築し、非暴力の世界平和宣言をする。
皆、手を取り合って行動するわけだ。命がけで。大人たちの間違った行動を是正すべく。

果たして、大人たちは、21世紀を担う、この子ども達に銃をむけることが出来るのか?。否。出来まい。もし、それが出来たとしたら、地球文明は一旦、消滅したがいいかも知れない。野となれ、山となれだ。その後、新たな文明が生じればよい。大人達が生み出したこの虚構の世界を救うのは、もはや子ども達しかありえない。何故かそんな気がする。

21世紀を担う子ども達への期待は大きいわけだ。そういうことを考えたとき、戦争を行っていることの空しさ、人をあやめることの非情さ、悲しさを大人たちは忘れてしまったのだろうか?。

どう、僕が吠えても、現状が良くなるわけではない。ただ、神や仏を包含した宇宙は、現実のような社会を想定して、人間を創造されたのではあるまい。知恵を持った人間は、あくまでも、知恵で、物事の解決を図らねばならないだろう。それが、神の意思であり宇宙の意思であると思う。

台風の去った安堵感から、今日は評論家になってしまった。今はただ、間違った方向に進まないように、目を大きく開いて、現状を見据えるだけだ。









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