umityanの日記
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| 2004年06月23日(水) |
貧しくても、潤いの心は食卓から。 |
貧しくても、潤いの心は食卓から。 at 2004 06/23 12:28 編集
最近はあまりにやりきれない事件が多すぎるような気がする。年端も行かない子どもが、犠牲になったり、又、加害者も低年齢化している。由々しいことだ。
この、そもそもの原因は、なんと言っても、大人社会が生み出した虚構の構造にあるような気がする。大人は子どもの心を映す鏡。その鏡が曇っていれば、子どもの心も曇るわけだ。その、曇った心に建前論、形式論的な教育をやっても、無意味だろう。心の曇りが晴れるわけではない。
父親は苦労しながら家庭を守ってきた。その懸命な姿に、子どもは子供心に父親を尊敬した。かつ、その父親を影で支えてきた母親を尊敬したものだ。学校でも、出来が良かろうが、悪かろうが、それなりに、愉快に過ごせる環境があった。差別も偏見もすこしはあったかもしれないが、そういうことにめげずに育った。一様に貧しかったが、いつも家庭を支える父、母、兄弟の温かい目があったからだ。かくして、子どもは成長し、社会へと巣立って行ったたわけだ。
そういう家庭はあまたとあるに違いない。 ただ、昨今、目に飛び込んでくる映像や、情報は家庭の中で、個々がばらばらに生きている姿。皆、わが道を行く姿ばかりである。皆、勝手に忙しく、心を通わせる時間とてない状況。個々が独立して生きていく姿は、必ずしも悪いことではない。誰でも、早かれ遅かれ、自立独立して生きていかねばならないからだ。
ただ、昨今では、父親はリストラの影におびえながら、生き生き感を喪失し、母親は生活資金獲得の一部を背負って、パートに精出し、子どもは幾ばくかのお金を与えられ、ゲームやら遊興に興じる。いつの間にか、家庭から食卓が消え、団欒が消失する。問題はそこにあるのだろう。都会のコンクリートジャングルをさまよう若人達は、心の内部では、やはり家庭というものの温かさをもとめているのだろう。たとえ、貧しくても潤いの心は食卓からである。・・・・・。一時的遊興で孤独感を癒し、再び孤独に陥る。孤独感の行き詰まったところに、短絡的で、衝動的な悪魔が顔を出すのだろう。
昔と違って、マスメディアが発達した今日にあっては、あらゆる情報が即座に入手できる。国内の隅ずみまで、同じ情報が共有されるわけだ。このことは大きなメリットかもしれないが、裏を返せば情報過多となり、真実が真実として捉えられなくなる危険がある。建前論、形式論、ゆがんだ孤立主義が、のうのうと、まかり通ってしまう。そういう世の中は健全ではない。やはり、本音で、体当たりしながら、大人が子どもに手本を示し、心豊かな子ども育成することが、21世紀を素晴らしい世の中にする鍵であるように思う。そうなれば、悪魔は顔を出さないだろう。
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