umityanの日記
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| 2005年03月25日(金) |
電子化と情緒の戦い。 |
うって変わったような見事な晴天。心地良さを覚ゆ。やがて桜の花が咲くだろう。いみじくも、与謝野晶子が歌ったっけ。「祇園よぎる桜月夜 こよい会う人、みな美しき」。桜の花に引き立てられて、皆美しく見えると言うわけだ。桜の時期になると、いつもこの歌を思い出す。情緒豊かな日本人の心に乾杯・・・・。なんやかんやと言いながらも、日本は平和だ。その平和にどっぷり浸かって、いまや、抜けだせない今日この頃。
世間を見回すと、今日はサッカーのイラン戦が催される。イラン側サポーターの熱狂振りには驚かされる。やはり、これも愛国心の表れだろう。そんな中で、比較的おとなしいのは日本人である。やはり、日本人は、与謝野晶子の歌のように、秘めたる情熱で、内をこがしているのだろう。はたして、今日の視聴率は何パーセントにはねあがるやら。人ごとのように言っている僕も無関心ではない。今から心が騒いでいる。
片や、フジテレビとライブドアの経営支配権をめぐっての攻防も興味深い。資本主義社会にあって、企業買収はよくあること。所有と経営の分離が特徴である会社制度。所有しているのは資本。資本を50%以上所有すると、経営面をほぼ、自由に動かすことが出来る。新らしい風を企業に送り込むことは、長い目で見れば必要かもしれない。とは言え、守ることも必要だ。これも戦いである。いずれが勝利するにせよ、切磋琢磨してよいよい企業を構築していかねばならないだろう。
最近、とみに感じる。電子化の波が否応なく我々日常生活の中に入っていると。時々心配になる。この波に乗っていけるんだろうかって?。今でも、悪戦苦闘のこの頃。その顕著たるものの一つがペーパーレス化。やがては、手書きの書類はほとんど無くなるかもしれない。いろんな書類がインターネットで処理される。ただ、キーを打ち込むだけ。字を手書きすることが無い。年賀状や暑中見舞いの葉書の作成だってそうだ。昔は、ミミズの這ったような字で、したためたものだ。今や、60パーセント以上が機械文字である。見た目は美しい。ただ、如何せん、機械文字には情緒が感じられない。世にあまたといる美人と同じだ。心の中を知って、「あああ、中身も美人だったんだ」と初めて分かる。
世はスピード時代だ。内容がきちんと伝わればそれでいい?。効率の良いビジネス社会とはそういうものかもしれない。情緒は必要ない。そう思えど、ただ、なんとなく淋しく感じる。情緒は今いずこ?。機械と情緒が融合すれば一番言いのだが、やはりこれも戦いかもしれない。、情緒とそれを排除しようとする機械がしのぎを削る、この戦いをおさめる一番良い方策は、情緒を持った機械が開発されることかもしれない。
僕の場合はどうか?。以前は私的なものは、ほとんど手書き。ビジネス的なものは機械文字と使い分けていたが、最近、その区分けも定かではなくなってきた。私的なものでも、機械文字に頼るようになってきた。こうなると、字を書く機会がどんどん減る。時々、手書きすると、我が字の下手さに驚き、機械に頼る。これがいけないんだよなーーーーー。下手でも、愛情が込められていればいいわけだが、つい、見かけの美しさにとらわれてしまう。機械文字は達筆だからなーーー。ラブレターも、最近は携帯メールが主流とか?。即座に言いたいことを伝えられるから便利である。別れる時も「はい、さようなら」か。 携帯電話の前で、「おいおい」泣くことになるのだろうか?。 そういえば、時々、携帯電話をもって、歩きながら涙している若い女性を見かけることがある。愛の別れか、何かの不幸か?、喜びの涙か?。詮索する由もないが、昔は見かけることもなかった光景である。
ところで、僕は何を書きたかったのか分からなくなった。どうも、世の中は、いろんな面において、文明の利器と情緒の戦いであるような気がする。共存共栄ならいいのだが、情緒が置き去りにされていくような・・・・?。そんな不安を覚える。そのことを言いたかったのかもしれない。
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