大 将 日 記
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今日は年賀状を作ったりしていたので日記更新の時間が無い。しかし、2日連続で 休むと誰かに何か言われそうなので、昔のHPに書き記しておいたコラムを紹介し たいと思う。
これは、2001年9月に書いた物である。 もう一度言おう。これは
2001年9月 に書いた物である。
何故に2001年9月を強調したのか? 読めば解ります。 で、その2001年9月に書いた物を修正して、今日の日記にアップさせて頂きま す。
それでは、はじまりはじまりぃ!
これは2001年9月の事である。(しつこい?) 当時、家族で鮮魚店を営んでいた私達家族は、市場が隔週の水曜日が休みと言う事 で、毎週水曜日が定休日だったのだが、毎週水曜日になると、末の妹が娘を連れて 我が家にやって来る。
当時はまだ1歳だった私の姪。ちなみに今は4歳である。
専業主婦は暇らしく、更に子守も爺・婆に任せられるので、本当に毎週やって来る。 しかし妹はタダ来てゴロゴロしている訳では無い。何かと家の中をいじっている。
父はマメで、家の掃除・洗濯・食器洗い等は他人に任せられないらしく、ほとんど 自分でやってしまう。二人の妹がまだ家に居た時からそうなので、娘の下着をたた んでいる親父の姿と言うのに、何も違和感を感じない。
しかし、父は私も驚く程に不器用な男である。
性格が不器用なのでは無い。ネジひとつ、画鋲ひとつ付けるだけでも、どうやった らここまで変な風に付けられるのだろうと、我々が首をひねってしまう程の不器用 なのだ。 一度、古くなった様式便器の便座を取り替えようとして、新しい方の便座を壊して しまい、古い方の便座は割れてしまっていて、何日か凄く不便な思いをした事があ る。そしてその時、便座の無い洋式便器が、あそこまで間抜けな姿になるものなの かと発見したのも事実だ。
そうそう、妹の話しだった。
妹は身体を動かすのが大好きだ。日曜大工をやらせたらそこらの男に絶対負けない。 娘の三輪車を組み立てたりするのは朝飯前で、先日も何やら隣の部屋から物音がす るので覗いてみたら、親父の書斎の机の電気を取り替え、更に何やら便利そうなグッ ズをホームセンターで買い揃えて取り付けていた。 またある日は、風呂の棚が壁に取り付けられていたり、玄関の扉の開き具合を調節 したり、また外の門が壊れていたのを治したりと、妹が来ると家の何処かが変わっ ていく。台所に新しい棚を作ったり、今、電子レンジが乗っている棚を作ったのも 妹。家族からは
『我家のビフォア・アフタァー』
と呼ばれ、大変に重宝されている訳だ。 先日の父の誕生日にも、映画好きの父の為に兄妹3人で5.1chのDVDホームシアター を買ってあげたのだが、配線とかも実に上手くしていくのだ。 女にしておくのが、本当に勿体無いとつくづく思ってしまう。
そんな妹が
「少しは整理しなよ!」
と母を叱っている声でその日は目が覚めた。
部屋を出て、1階の居間に行くと母は、本当に呑気に孫と遊んでいた、その脇で妹 は冷蔵庫の中を整理していたのだ。
「おはよう。何やってんの?」 「冷蔵庫の整理。お母さん全然やらないんだもん」 「そうだね。何か古代のモノとか出て来そうだもんね」 「ほら、3ヶ月前までの賞味期限のヨーグルト。しかもお母さんの食べかけが出て きたよ!」 「あら、まだ食べられるでしょう? とっといて!」
この母、何を考えてるんでしょうねぇ。それを何の違和感も無く食べようとする神 経が私には理解不能ですわ。これで本当に当時は鮮魚店を営んでいたのですから怖 い事ですよねぇ。
私の家には当時、冷蔵庫が2台あった。 1台は当然、台所にあるのだが、もう1台は庭に置いてある。庭に置いてある方は 主に飲み物を入れておく為に、近所で改築をする家が捨てると言うので貰って来た 物だった。
でも母の性格は非常に困ったモノだった。
母は、何故かいつも冷蔵庫が目一杯になってないと気が済まない人らしく、1台で はビールを冷やすスペースも無くて、困った親父がもう1台を貰って来たのだが、 その庭にある冷蔵庫も何故か目一杯状態になっている。
ちなみに言っておきますが、我が家は当時3人家族でした。しかも、家で食事をす るのは自営で店に出向いていたかに1日1回、夜だけだったのだ。それなのに2台 の冷蔵庫に食料は山のように入っている。 最初のウチは整理整頓が苦手な私もセッセと母の目を誤魔化しては冷蔵庫内を整理 (と言う名目のつまみ食い)していたのだが、もう最近は呆れてしまい、何もしな い事にした。 タダ、珍しく母が冷蔵庫を整理している時がある。そう言う日は必ず安売りのスー パーが更に特売のチラシを入れている日なので、夜になると冷蔵庫が唸る程、満杯 になってしまうのだ。 当時は魚屋を営んでいたのにも関わらず、その安売りスーパーの値札が付いた魚介 類が何故か良く冷凍庫内を賑わせていたような記憶がある・・・・・
その日、冷蔵庫の整理を終えた妹は、母と一緒に買い物に行った。 我が家は毎週水曜日は『肉の日』と決めていた。何故なら商売上どうしても魚介類 が食卓に登場する日が多くなるので、休みの日くらい肉を食べようと言う事になっ ていたので、その日も夕飯のおかずにする肉でも近所の安売りスーパーに買いに行っ たのだろうと思っていたのだが、母達が買い物から帰って来て、驚いた。なんと焼 き肉用の牛肉を1kg880円だったと言って、5kgも買い込んで来ていたのだ。
「冷凍にしておけば大丈夫よ」
と言いながら、庭の冷蔵庫のフリーザーに3キロ程仕舞い込んでいたのだが、今夜 だけで2kgを3人で食べるのかと思わず突っ込んでしまった。が、動じずに夕飯の 支度に取りかかったのだ。
この日、父はゴルフで居なかった。姪はまだ1歳なので、私と母と妹の3人で2kg の肉を処理しなくてはならないのだ。そんな心配を他所に、母は早速ホットプレート を出して焼き始めた。
時、折しも世間は狂牛病騒ぎで牛肉が売れて無い時なのに、我が家では
「オーストラリア産だから大丈夫」
と母が言いながら我々に肉を食べさせていた。
私もそうだが妹もよく食べる方で、二人で1kgを食べ尽くすのは意外と簡単だった。 母が2キロ目に手を掛けた途端、妹が
「ああっ!」
と叫んだ。
「どうした?」 「やばい。忘れてた!」
慌てて台所の冷蔵庫のパーシャル室を開けると、そこには解凍していたカルビ肉が 約1kg入っていた。
「冷蔵庫を整理した時に、ここに入れておいたんだ! 今日は肉の日だから、今夜 はこれにしようってお母さんと言ったんだ!」
もう解凍されて、やや変色していた肉。これ以上保存出来ないと判断した我々は、 ひの歳でどこかの相撲部屋に入門する覚悟で肉を食べる決意をした。しかし
「もうタレで食べるのはイヤだから、塩で焼いてサッパリと食べたいなぁ」
私が注文すると、妹がセッセと焼きながら
「ねぇ、レモン無いの?」
と母に尋ねると、台所のシンク下の棚をゴソゴソした後、母が缶に顔が書かれてい る缶コーヒーでお馴染みの某メーカーのレモン汁の瓶詰めを取り出した。
「へぇ、洒落たモノを用意してあるじゃん」 「確か、まだ未開封だから、開けちゃって」
レモン汁をかけて食べるのは大好きなので、これでまた食が進むと思ったのだが、 私も小枝も何か味がおかしい事に気が付いた。 気が付かずに食べ続けているのは母だけだ。 私は瓶を再び見た。すると何やら沈殿物を見つけ小枝に言うと
「あっ、瓶を振らなかったからだ」
とシャカシャカと振り始めた。 すると今度は、レモン汁の色が茶色になってしまった。 慌てた私と小枝は、もう一度瓶を見て驚いた。
なんと『賞味期限 1999年2月』になっていたのだ。
さあ、冒頭に書いた事を思い出して下さい。この話しは
2001年9月の事なんですよ!!
「おい、賞味期限が1年以上も前に切れてるじゃないか!」
と私が母に言うと、次に母が発した言葉に我々は椅子から落ちた。
「バカねぇ、この子は。正しくは2年以上よ!」
なんとも平然と言ってのける母。 我々はその後、レモン汁を使わずに食べていたのだが、母は
「勿体ない」
と言いながら、レモン汁をかけて食べていた。
運が悪い人と言うのは居るモノで、そんな中、コンペ後の宴会でほろ酔い加減の父 が帰宅して
「おっ、焼き肉か! 俺も少し食べようかな」
と何も知らずにレモン汁をかけて食べ始めた。 親父は喋り出すと止まらない人なので、我々がレモン汁の事を言う前にその日のゴ ルフの事を熱く語っていたので、ほっておいた。
明暗は翌日に出た。
顔色ひとつ変えないで、朝から元気に魚屋で働く母の横を、謎の腹痛にさいなまれ、 便所を何往復もする父。
あれから3年の月日が流れたのだが、父は未だに真実を知らない・・・・・
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