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oOO 自己想起2
2005年01月22日(土)
自分の過去を思い出してみようシリーズ。 ああ、日記じゃないんで読まなくていいですよ。
小学校は、いちおう私立と国立を受けたが、 結局近くの公立に行った。 たった2人だが、保育園からの友達がいると聞いたからだ。
一クラス25人。学年二クラスで50人。全校300人弱。 山の麓にあり、裏山にアスレチックを作ってしまうような 平和でのどかな学校だった。 田舎のヒトコトに尽きるが、グラウンドだけは広かった。
親友と呼べる子は2人いた。 1人は小学校が終わると長野へ転校してしまった。 もう1人は、大学は違うがまだ続いている。 この時から少なくとも14年間の付き合いになるのだから、 人生はわからない。
本が好きだった。 相変わらず活字中毒だった。 シートン動物記とかのある、図書館の動物コーナーは読破した。 クレヨン王国、童話、神話、怪盗ルパンやホームズ、 なぜだろうなぜかしら、雑誌、とにかく読みまくった。 そしていつも返却が遅れて催促されていた(笑)
運動は好きじゃなかった。 今でも息のあがるような運動は嫌いである。
姉御肌といわれ、学級委員を何度かやった。 本を読んでいたせいか、成績もよかった。
男の子で、犬猿の仲だった子がいた。 口げんかにはじまり、時々ものが壊れ、そしてどちらかが 勝ったり負けたりして終わった。 成績も同じくらいだったので、どこかでお互いを認め合っていた。 そんなこと、2人とも表面には出すわけもなかったけど。(笑)
3〜6年まで、同じ先生に担当してもらった。 男まさりな女の先生で、いろいろと普通の先生と違った(笑) 裏表がなく、よく笑い、よく怒る人だった。 嘘をつくことを嫌った。 悪いと思ったことはとことん叱った。 性の話を、小学生相手に躊躇なく話す人だった。 沖縄の少女暴行事件について、あけすけに女性器の仕組みを説明し、 どんなにひどい事件であるかを涙ながらに語った。 夫が部落の人間だと告白し、同和啓発の問題も深くやった。 天皇、国旗継承、国家斉唱についても独自の考えをもっていた。 この人のクラスだけ皆式典の国家を歌わなくなって、 教頭先生からお達しが来たりした。 親は「本当に問題のある先生だったわ」と言っていたが、 私は今でも尊敬している。 小学校の先生というカタい立場で、自分の意見をはっきりと子供に教えた その度胸にいまも憧れている。
小4ぐらいから、好きな子がいた。 皆で噂しているうちに、コロコロと変わるのだが。 まだ「付き合う」ではなく、「両想い」という言い方をしていた(*ノノ 1人だけ、あれは本気でスキだったと今でも言える子がいた。 違う中学を受験して離れてしまったが、 なんと現彼氏と同じ中学・高校で、しかも友達らしい。 やっぱり人生はわからない。
4歳から少4まで、ピアノをやっていた。 練習が嫌いで嫌いでしかたなく、親に怒られながら泣いて練習させ られたときもあった。 塾を理由にやめれた時は本当に嬉しかった。
水泳も少しだけやっていた。 泳ぐのは好きだった。水の中で漂っている感覚が好きだった。
少5・6と某進学塾に通った。 勉強するのは嫌いではなかった。 この塾にあまり強い印象はない。
中学受験は、自分のレベルより少しだけ上を受けた。 同じ小学校から3人うけて、私だけ落ちた(笑) おとなしく近くの公立中学に行くことになったが、 そう残念と思うこともなく、まあいっかーと思っていた。 どちらかというと親のほうが残念そうだった。
自然に囲まれ、のびのびと遊び、いい友達と先生に恵まれた。 あの小学校に通えてよかったと思っている。
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