負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO 自己想起3
2005年01月25日(火)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
そろそろしんどぃ(早


中学校。
正直、思い出は薄い。
今まで1学年50人だったのが、いきなり40人*5クラスの200人に増えて
人の多さにびびったのが中1の最初の記憶。
決して驕りではなく、中学でテストに困ったことはなかった。
テスト勉強しなくても点はとれた。
小学校までの圧倒的な読書量が効いたのだろうか。

中1の頃、中学の近くにあった英語塾に通っていた。
ここで小学校からの親友を含む仲良し4人組ができる。
大学が違っても、このメンツは連絡をとりあっている。
この4人の中の1人とはよくケンカをした。
自分の価値観というものが芽生えはじめる時期で、本当に大喧嘩である。
でもマンガという共通の趣味もあり、帰りに家によく遊びに行った。
泣くほど笑って、気がついたら暗くなってて、あわててお暇するような
日々だった。
大キライと大スキの狭間で、この子を友達と素直には呼べなかった。

相変わらず本は好きだったが、赤川次郎の三毛猫ホームズを読んで
そのシリーズにはまる。
古本屋で彼の作品や、漫画を買いあさっては交換して読みまくった。
このころから余りマジメな本を読まなくなった。

たぶん、一生忘れることのできない恋もした。
同じクラスで、最初は友達がその子を好きで、調べているうちに
自分も好きになって、という少女マンガのような展開。
そいつとは仲は良かったけど、世界の違う子だった。
私はマジメで、遊んでもいなくて、優等生側で。
そいつはバンドやってて、彼女がコロコロ変わって、窓の外ばかり見てた。
「身も焦がれるぐらい」という表現が当てはまるぐらい、
家でそいつのことを想うだけで自然と泣けるぐらい、
本気で好きだった。
途中、波はあったけど、この恋は高校1年まで続いた。

中学2年の秋ぐらいから某S塾に通い始める。
悪い友達と悪い先生に出会う(笑)
まだ、中学の頃は楽しかったなあ。
この塾で出逢った社会の先生は、唯一私が心から「先生」と呼ぶ人。
世界を違う角度から見ること、自分の知らない現実があること、
そしてヴィジュアル系のことを教えてもらった(笑)
寺の息子でヤンキーで女遊びの激しかったM谷。
ビルのオーナーの息子で甘え上手で話してて楽しかったM田。
元気にしてるかなあ?

クラスの友達がイラストを描いてて、私も描いてた時期があった。
それと同時に、PCで小説も書き始めた。
物語を綴り始めたのは7歳ぐらいからだけど、
本気で長編を書き始めたのはたぶんこのころ。
HTMLタグを勉強して、HPを初めて作ったのも中学かな?
創作することは、たぶんこの頃に覚えた。
今よりも、ずっとずっと、自分の中にエネルギーが渦巻いていた。

忘れちゃいけない!!
T.M.R.のこと!(笑)
きっかけは中2の頃のハイプレッシャー。
プロモがめっちゃ面白い人いるよーってことで、内輪で話題になった。
正直最初は爆笑した(笑)
でもそれをきっかけに注目するようになって、
曲をスキになって、プロデューサーの朝倉大介を好きになった。
中高の私は朝倉大介なしには語れない。
そしてファンサイトのチャットに入るようになった。
このチャットで数多くの年上の友人を得る。
ネット中毒の始まりである。



高校は、一応附属を受験したが落ちる。
そんなに落胆もせず、やっぱり親のほうが凹んでいた。
地元の公立高校へ通うことになり、それはそれでいいかと納得する。


   
現在 今まで
 

仕事用ぶろぐ