ストレンジ・デイズ - 2002年08月07日(水) ある人があることを正確に伝えようとすると、どうしても言葉を選ばなくてはいけない。 ・・・(中略)・・・ 選んでも選んでも、どれだけ必死に捜しても言葉が見つからない時がある、 誰かに、できれば全世界に向けてあることを伝えたいのに、 その言葉がないっていう時が必ずあるもんなんだ、 楽しいことだったら別にどうでもいいよ、 言葉なんか要らないっていうのが楽しいってことなんだからさ、 でも、辛い時は違う、 それは一人で言葉の違う国へ行って病気になってみればわかる、 そいつのやるべきことは医者を捜すことだが、 言葉を憶えることの方が大事かも知れない。 そういうことがこの国はわかりにくい、 言葉を捜すってことの大切さもわかりにくいし、 必死になって言葉を捜さなくては伝わらない苦しみがあるってこともわかりにくい、 それは誰もが同じ考えのもとに生きているとされているからで、 個人よりも、わけのわからないその同じ考えを持った集団の価値観が大切にされてしまうからだ、 特に子供の頃は、誰も自分の言葉を持つことができない、 だから言ってみれば子供はみんな軽い神経症なんだ、 その神経症を治そうとせずにほとんどの人は、 より大きな神経症的な集団に同化することで解消しようとする、 子供のノイローゼを、例えばよい学校や会社へ入れることで治そうという考え方だ、 だけど本当はそんなことには何の意味もないというタイプの子供もいて、 でも彼らは生きていかなくてはいけないから、 言葉の代わりに何かを導入する、 それは絵や音楽という言葉に頼らない表現だったり、 あるいは自閉的になったり、そして、 ある人にとってはサナダ虫という考え方だったりする、 でも、もともと言葉を捜すのに疲れ果てただけで、 言葉への信頼を失ったわけじゃなくて逆に自分に本当に強い言葉があればいい、 あるいはもう言葉を捜さなくてもいいような時がくればいいと思っているだけだから、 やはり言葉を選ぶ時はとても慎重になる、 今のジュンコがそうだ、 そういう人の言葉は信じようと思うんだ、 オレがつい最近までそうだったからね、 何かがイヤでたまらなくなって、 何かがわからないということでひどく不安定だった、 言葉がなかったんだ、 だから、少しはこうやってジュンコのことについて、喋ることができる、 オレはジュンコを信じるよ、 どんな時だって、信じる、 「ストレンジ・デイズ」(村上龍)からの抜粋です。 著作権侵害しまくりですね。 なにか不都合がでてきたら削除します(←認識甘すぎるぞ) もうこの人の文はマジで読みにくくてほんと疲れるんだけど、 この部分(・・・の部分は中略)は結構好きだったりするんですよね。 だから、ちょっと日記に書いてみたくなった。 「この国にはなんでもある。ただ希望だけがない」(正確ではない) 「希望の国のエクソダス」で書いていた村上龍氏の言葉だ。 (小説のなかではぽんちゃんが国会で演説したときの最後の言葉だったはず) この言葉も妙に頭に残っていて、 僕は読みづらいと愚痴をこぼしながらも読んでしまうのは、 そういう理由なのかもしれない。 僕は言葉について非常に慎重になった。 一度、冷静に考える時間を作るようになってずいぶん変わってきたと思う。 (自分にとって、よい方向だと思いたいのだが・・・) その話はまたの機会にすることにします。 ...
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